Russian Indie Guide-ロシアのインディーロックガイド

ロシアのインディーロック、その知られざる素晴らしき世界

ウクライナ侵攻に対するロシアのミュージシャンの姿勢それぞれ(2)反対派

ウクライナ侵攻に対するロシアのミュージシャンの姿勢それぞれ(1)賛成派
から続く

(1)ではウクライナ侵攻に対する賛成派とグレーゾーンのロシアの有名ミュージシャンについて書いたが、この記事では反対派のミュージシャンを紹介する。

反対派

賛成派のミュージシャンを見付け出すのはロシア在住でないのでなかなか苦労したが(Forbesの番付に載っている人のWikipediaを片っ端から調べたり、老害化してそうなベテランを洗ったりして頑張りました)、反対派は簡単に見付けられた。ロシア政府が作った非公式の「ロシア国内で演奏するのにふさわしくないミュージシャンリスト」が出回っているからである。また「外国の代理人(または工作員、要するにスパイ容疑者)」リストもあるのでこれらを見ればいい。このリストは↓のAfishaの記事に載っている。ここでは主にこのリストに載っているミュージシャンを紹介する。

Alla Pugacheva

プガチョワと夫のマキシム・ガルキン(Moscow Times ”9 Russian Cultural and Sporting Figures Who Emigrated in a Year of War"より

アーラ・プガチョワ(Алла Пугачёва 1949年生まれ、現在74歳)はソ連時代からのスーパースターであり、日本からは「ロシアの美空ひばり」、アメリカからは「ロシアのティナ・ターナー」と呼ばれるような国民的な歌手である。日本では「百万本のバラ」の歌手として知られ、1983年に加藤登紀子によるカバー曲がリリースされた(原曲はラトビアの歌)。1965年から音楽活動を続けており、ソ連で最も成功した歌手である。1991年に最高の栄誉である「ソ連人民芸術家」の称号を与えられている。歌うジャンルはポップス、ソフトロック、シャンソンなどである。プガチョワはロシアのLGBTコミュニティからゲイアイコンとみなされている(アメリカのシェールみたいなもんですね)。

↑ロシアの歌謡曲の典型例なんではないかと思うようなメロディーで、スラヴの血が騒ぐんだろうなというような箇所がそこかしこに。ソ連時代のロックバンドでもこういう匂いは結構する。個人的にはこの泥臭さはちょっと無理だが、「ロシアっぽい旋律」とはこんな感じ。日本の昭和30~40年代の歌謡曲にもかすかに通じるものがある気もする。シベリア抑留経験者が戦後多数帰国したため、意外とロシア民謡は日本の音楽に影響を与えている。

プガチョワはこれまでに5回結婚しており、前夫は(1)の賛成派の記事で書いたフィリップ・キルコロフである。彼とは2005年に離婚し、2011年に27歳年下のマキシム・ガルキンと5回目の結婚をし現在に至る。
ガルキンはロシアでは非常に有名なテレビ司会者・コメディアン・歌手・風刺作家である。元々はものまね芸人として有名になったらしく、パロディの才能で知られている。ロシアの「同性愛宣伝禁止法」に否定的な意見を表明したりと一貫してリベラルで政権に批判的な立場を取っており、2022年のウクライナ侵攻に対しても反対を表明した。3月にはプガチョワと子供達と共にイスラエルに移住。現地でチャリティコンサートを行いウクライナ難民を支援する基金に送金すると発表した。
この事からロシア政府は9月にガルキンを「外国の代理人」リストに加えた。プガチョワは自分も「外国の代理人」リストに加えるようロシア政府に要請し、ウクライナ侵攻に反対している。
プガチョワは2011年以降は野党を支持する発言を公然としており、Pussy Riotを支持する発言もしている。ロシアの国民的なレジェンド歌手が反政府的なのは、プーチンにとっては面白くないだろう。

Andrey Makarevich(Mashina Vremeni)

Concert Mediaより

アンドレイ・マカレヴィチ(1953年生まれ、現在69歳)はソ連ロックの先駆者であり、現役のロシア最古のロックバンドの一つMashina Vremeni(Машина времени「タイムマシン」の意味)の中心メンバーである。(Mashina Vremeniについてはこちらに詳しく書いているのでどうぞ)ビートルズの大ファンだった彼は1969年にクラスメイトとMashina Vremeniを結成し、ロシアのロックの創成期からずっと第一線で活動し続けてきた。ロシアのロックに与えた影響は計り知れない。バンド以外でもソロ、画家としての活動もしており、テレビ司会者やラジオパーソナリティなどもしている。

(1)の「賛成派」の記事では反戦派から政権支持に転向するミュージシャンの例をいくつか挙げたが、マカレヴィチはその逆で政権支持から一転して激烈な反プーチン派になった人である。反政府派有名人のトップ論客の一人である。
ソ連時代は決してイゴール・レトフのようなKGBから睨まれる積極的な反体制派ではなかったが、70年代以来共産党政権に対して否定的な意見を持っていた。ソ連崩壊直前の1991年8月のクーデターでは連邦政府議事堂前のバリケードで演奏した。
普段は政治的な事からは距離を取っていたが、ソ連崩壊後の1991年から2011年まではマカレヴィチは一貫してロシア政府、つまりエリツィン大統領とプーチン大統領を支持してきた。1996年の大統領選では彼はエリツィンの腹心となった。プーチン政権になってからは大統領に近い公的組織や団体には一切参加しなかったが、政権については概ね肯定的な発言をしてきた。2003年のポール・マッカートニーのモスクワ公演では彼はプーチンの隣の席に座っていた。2008年の大統領選では彼は一定の期待を寄せてメドベージェフに投票したと述べた(メドベージェフはプーチンの傀儡)。2010年にはChannel 1(ロシア国営テレビ局)の取締役に指名され、大統領の文化評議会のメンバーにもなった。

2010年12月、マカレヴィチはAquariumのボリス・グレベンシコフ、Tequilajazzzのエフゲニー・フョードロフ(この人も反政府派の有名人。Tequilajazzzについては90年代オルタナティブの記事で書こうと思ってます)らと共にミハイル・ホドルコフスキー事件の公正な裁判を求めるメドベージェフ大統領宛ての書簡に署名した。大富豪(オリガルヒ)のホドルコフスキーはロシア最大のユコス石油会社社長であったが、様々な政府の審議会や委員会の委員も務めていた。彼は徐々に汚職など政権への批判を公言し野党への資金提供を増やしていったため、「脱税」の容疑で2003年に逮捕され、不当な拘留をされていた。これはつまりプーチンに忠誠を誓わないオリガルヒの粛清であった。なおこの公開書簡にはウクライナ侵攻賛成派のAlisaのコンスタンティン・キンチェフ、Chaifのウラジミール・シャフリン、Va-Bankのアレクサンドル・F・スクリヤルも署名している。

 これ以降マカレーヴィチの政府に対する態度は批判的なものに変わっていった。2012年の大統領選ではプーチンの対抗馬の野党候補の腹心になった。プーチン再任後は積極的に反プーチン活動を続け、Pussy Riotも支持した。
2014年のロシアのクリミア併合では真っ先に反対の声を上げた。このため彼のコンサートは頻繁に政府から妨害されるようになった。2022年のウクライナ侵攻では強く政府を非難し、侵攻3日後に妻とイスラエルに移住した。9月、ロシア政府は彼を「外国の代理人」に指定した。

マカレーヴィチの場合、ソ連共産党政権に不信感を持っていたので、それを倒した形のエリツィンは支持に値すると思ったのだろう。結果的にエリツィンはロシア経済を破綻させ、政権も腐敗したが、それでも他に妥当な人物もいないので後継者に指名されたプーチンも支持した。しかし自身の任期終了後にメドベージェフを傀儡にし、さらなる再選を狙い始めたプーチンに徐々に疑念が出てきたのだろう。社会の動きがどんどん不穏になっていった事も理由だろう。彼のような「転向」は私のような西側の人間にも理解できる。その逆はなかなか難しい。

侵攻後にマカレヴィチにインタビューしたRadio Free Europe/Radio Libertyの英語記事があるのでどうぞ↓

Boris Grebenshchikov(Aquarium)

Radio Free Europe "Russia Declares Rocker Grebenshchikov, Ex-Chief Rabbi, And Others 'Foreign Agents' " より

Aquarium(Аквариум)はMashina Vremeniと同様に現役のロシア最古のロックバンドの一つであり、ロシアのロックにおいて計り知れないほどの影響を与えたバンドである。ボリス・グレベンシコフ(1953年生まれ、現在69歳)は唯一のオリジナルメンバーであり、「BG(ベーゲー)」と呼ばれ偉大なミュージシャンとして尊敬を集め続けているレジェンドである。(Aquariumについてはこちらの記事で詳しく書いているのでどうぞ)
1972年、レニングラード大学(現サンクトペテルブルク大学。モスクワ大学と双璧の名門大学)の学生だったグレベンシコフは友人とAquariumを結成。長らく地下で活動していたが、ペレストロイカ期の1980年代後半にはソ連全土で知られるようになり大成功する。またKinoやAlisaらとのコンピレーションアルバム「Red Wave」がアメリカのインディーレーベルからリリースされるが、これは初めて海外でリリースされたソ連バンドのレコードであった。これを機にAquariumは西側でも知られるようになり、特にグレベンシコフはソロで頻繁にアメリカをツアーする。2枚の英語のソロアルバムを出しており、1989年にCBS/コロンビアからリリースされた「Radio Silence」はメジャーレーベルから出た初のソ連アーティストのアルバムで、Eurythmicsのデイヴ・スチュワートのプロデュースであった。ビルボードTOP200では198位、モダンロックチャートでは7位を記録。アニー・レノックスやクリッシー・ハインドなども参加している。

90年代初頭に一時Aquariumは解散していたが、メンバーを一新して活動再開する。以降現在までロシアの音楽シーンの第一線で活動してきた。非常に多作な人で、Aquariumやソロ以外にも多数のアーティストとのコラボ作品がある。写真や絵画も手掛ける。ラジオ番組「Aerostat」のパーソナリティーもやっていて、その独創性にも関わらず今日のラジオでは放送されなかった「音楽のオルタナティブ」を毎回選曲している。ジャンルや時代は多岐に渡る。

グレベンシコフは特に一定の宗教を信仰している訳ではないが、宗教や神秘主義の研究者として知られている。仏教やヒンドゥー教のテキストの翻訳書も数冊出版している。

彼はソ連時代から一貫して反権力の立場を貫いており、長年に渡ってアムネスティ・インターナショナルの活動に協力している。ロシア国内の政治犯を釈放するための活動にも多数携わっている。2014年2月にはユーロマイダンで亡くなった抗議活動参加者に曲を捧げた。

*ユーロマイダンとはウクライナで2013年11月に始まった市民運動。キーウでのデモ運動に始まり、2014年2月のユーロマイダン革命では親ロシアのヤヌコーヴィチ大統領の追放をもたらした。これにより直後にロシアによるクリミア併合と東部・南部での親ロシア派騒動が起きた*

2019年には政府のテレビプロパガンダニストについて歌っているビデオをYouTubeに投稿し、一週間で200万回以上再生された。これは社会的な現象になり、多くのカバーバージョンオリジナルビデオなどを生み出した。
2020年にはベラルーシの抗議運動参加者支援の公開書簡に署名した。
2022年のロシアのウクライナ侵攻には全面的に反対し、「起こっていることは純粋な狂気です。この戦争を始めた人々は気が狂ってしまいました。彼らはロシアにとって恥辱だ」と語った。2023年、ロシア政府はグレベンシコフを「外国の代理人」に指定した。彼は現在ロンドンに在住している模様。

↑2022年10月、グレベンシコフはイギリスの「BBCハードトーク」に出演し、ウクライナ戦争への反対、ロンドンへの自主亡命、そして反戦記録制作のためのデイヴ・スチュワートとの関わりについて語った。この曲はウクライナ支援のためのスチュワートやスティーヴィー・ニックスらとのコラボ曲。ウクライナ支援コンサートも開催している。

Yuri Shevchuk(DDT

DDT Facebookより

ユーリ・シュフチェク(1957年生まれ、現在66歳)は80年代ソ連ロック革命を代表するバンドDDT(ДДТ)の中心メンバーであり、現在唯一のオリジナルメンバーである。しばしば「ロシアの最も偉大なソングライター」とも称される。彼はキャリアを通じて反権力・反戦・反暴力・人権尊重を訴えており、2000年代半ばからロシアの反政府運動に参加しているゴリゴリのの民主主義者・反プーチンミュージシャンである。
また彼はポップミュージックとの相容れない闘争でも知られている((1)の賛成派で書いたフィリップ・キルコロフとのファイトなど、商業的な音楽とは戦いたくなるらしい)。政治的にも音楽的にも永遠の反骨ファイターである。(DDTについてはこちらの記事で詳しく書いているのでどうぞ)

極東のマガダン地方のウクライナタタール人家庭に生まれたシュフチェクは子供の頃にウファに引っ越す。早くから絵の才能を発揮し繰り返し賞を取っていたが、同時に楽器の演奏も学んだ。ウファの教育大の美術系学部を卒業後、美術教師として田舎の学校に3年間勤務する。ウファに戻ってきた後の1980年にDDTを結成する。
DDTはすぐに頭角を現すが、当局との頻繁なトラブルに見舞われウファでのコンサートを禁止される。歌詞のせいでレコーディングも禁止され、コムソモール(共産党青年部。当時の「アマチュア」バンドは青年部での活動の一環とされていた)からも追放される。
ロシア各地を転々としていたが、1985年に妻とレニングラード(現サンクトペテルブルク)に移住。バンドメンバーを一新して再出発し、ペレストロイカの自由化の波にも乗って全国的な人気バンドになる。90年代はアルバムもヒットが続き、名実ともにビッグアーティストとなる。海外ツアーも行い、90年代初頭には日本にも来ていたらしい(詳細は不明)。

80年代のソ連バンドは90年代になるとメインストリーム化してエッジを失っていったが、DDTは尖り続けたようだ。特に政治的な動きが目立ち、しばしば政府を批判した。チェチェン紛争ユーゴスラヴィア内戦では現地でコンサートを開き、現実と悲劇を訴えた。音楽面では、大きなフェスティバルを開催して若いミュージシャンを招き、新しい才能を支援した。
2000年代(つまりプーチン政権)はその政権批判のせいで90年代に比べて彼らの曲がテレビで流れる事が大幅に減った。しかしシュフチェクは変わらず、オレンジ革命中の2004年にキーウの独立広場で講演したり、2008年のサンクトペテルブルクの不正選挙に対する抗議運動のデモ行進に参加したりした。

オレンジ革命とは2004年のウクライナ大統領選挙に対する抗議運動とそれに関する一連の政治運動の事で、親ロシアの与党首相ヤヌコーヴィチ(南東部基盤)と野党党首のユシチェンコ(西・中部基盤)の一騎打ちとなった。開票の結果ヤヌコーヴィチの勝利となったが不正選挙の声が上がった。再選挙を求めてキーウを中心に抗議運動が起こり、世界的な注目を集めた。再選挙の結果ユシチェンコが大統領となった。これはウクライナが将来的にEUの枠組みに入るのか、ロシアとの関係性を重視するのかという選択を迫られた事件でもあった。なおユシチェンコは立候補後突然重病にかかり、ハンサムだと評判だった顔が痘痕だらけになり別人のようになった。ダイオキシン中毒の疑いがあったが真相は不明。ユシチェンコ陣営は親ロシア派またはFSBによる置毒を主張したので国民の同情が高まった。*

2010年代に入るとプーチンの大統領再任が現実味を帯びてきたので、シュフチェクの政権批判行動にも熱が入った。上で書いてきたミハイル・ホドルコフスキーの支援活動、ヒムキの森を守る集会での演説など主な抗議運動にはほぼ参加している。
また2010年5月には他の芸術家と共にプーチン首相との会合に参加した。彼は民主主義、言論の自由、集会の自由、国民の自由といった物議を醸すテーマについて、プーチンに公然と質問をぶつけた(プーチンは具体的な回答は何もしなかった)。
2014年のクリミア侵攻には当然反対の声明を出した。2018年はアレクセイ・ナワリヌイの大統領選挙運動を支持、2020年にはベラルーシの抗議運動参加者支援の公開書簡に署名した。

2022年2月24日、シュフチェクは「私たちの未来が奪われている。まるで氷の穴を通って過去、19世紀、18世紀に引きずり込まれているかのように、私たちは引き込まれている」と述べて以来、一貫してロシアのウクライナ侵攻に反対してきた。5月のウファでのコンサートで反戦表明をした事により、彼は当局により起訴された。5万ルーブルの罰金刑の有罪判決を受けたが控訴。モスクワ当局は市内で予定されていたDDT40周年記念コンサートの中止を強制した。

(1)の記事で書いた賛成派のミュージシャンにはロシア正教信者が多いが、シュフチェクも正教信仰を公言している。DDTの歌詞には宗教的なモチーフが頻繁に登場する。しかし彼は政治が教会と結びつく事に非常に批判的であり、宗教的狂信を非難している。賛成派の正教信者は政教一致のような傾向があり、そこがシュフチェクとの違いである。実質無宗教な人間が多い日本人からするとウクライナ侵攻の意図がいまいち理解しにくいのは、この戦争に宗教戦争のような側面があるからかも知れない。

Ilya Lagutenko(Mumiy Troll)

イリヤ・ラグテンコ(1968年生まれ、現在54歳)はソ連崩壊後のロシアの国民的なバンドMumiy Troll(ムーミ・トローリ Мумий Тролль)の中心メンバーである。ウラジオストック出身なので何かと日本との縁も多く、NHKの「ロシア語講座」で紹介された事もある。NHKの招聘で来日公演もしている。(彼らについてはこの記事で詳しく書いているのでどうぞ)90年代のロシアを代表するバンドで、今もビッグアーティストとして活動中である。

2022年のウクライナ侵攻開始直後、彼は↑の投稿をバンドのFacebookで公開した。
『私たちはは全てのコンサートを中止することを決定しました。 20年以上にわたり、私たちの仕事は、ロシア、ウクライナ、その他の国のリスナーを団結させる曲を書くことでした。 「音楽が消えてしまった…」 すぐに平和が必要です…私たちはゼロから始めなければなりません。 私たちは何度も何度も痛みや苦しみを通して理解と愛を求めます。 この音楽が癒しになるかも…』
明らかにウクライナの国旗の色を使った衣装に身を包んだ写真を添えているので、ウクライナ支持と見ていいだろう。この投稿については当時日本でも「ロシアの国民的なバンドのリーダー、反戦を表明」みたいな感じで報道されていた。

ただ、上で書いたようなベテラン勢のような強い調子でプーチン政権を非難している訳ではなく、「フワッと反戦表明」に留まっている。Facebookはこの後更新がなかったので(ロシアではブロックされているのもあるが)彼らのVKアカウント(旧ソ連諸国で広く使われているSNS)を見てみたが、Facebookに投稿していた↑の写真はなかった。VKは政府系企業に買収されたのでウクライナ支持の投稿は控えたものと思われる。他の投稿は過去の写真や音源、ライブなどで当たり障りのないものだった。

ロシアのミュージシャンは大成功すると海外に住む人が多いようで、ラグテンコも侵攻前からロンドンに住んでいるらしい。海外にいるならもっと強く反戦表明してもよさそうだが。という訳で彼はロシア政府のブラックリストにも入っていないし、当然「外国の代理人」指定もされていない。他の反対派と比べると物足りないのは正直ある。これが反対派と認められるならニーナ・クラヴィッツへの攻撃はちょっとかわいそうな気もするけどなぁ。

Bi-2

Bi-2 Facebookより

Bi-2(Би-2)はベラルーシ出身のシュラことアレクサンドル・ウーマン(1970年生まれ、現在53歳)とリョヴァことイゴールポルトニク(1972年生まれ、現在51歳)を中心としたオルタナティブロックバンドである。ソ連崩壊直後のベラルーシでは活動する場がなかったため、イスラエルやオールトラリアを経由した後90年代末にロシアに活動拠点を移す。2000年に大ヒットを出して以来ビッグアーティストとして精力的な活動を続けている。ロシアのメインストリームを代表するロックバンドである。(Bi-2についてはこちらの記事に詳しく書いたのでどうぞ)
音楽性は80年代イギリスのポストパンクとロシアのAgata Kristiに影響を受けたものであり、チャート上位の常連である。

彼らは20年以上のキャリアにおいて積極的な政治的行動はしなかったが(しかし随所で反戦的な曲を発表している)、2022年のウクライナ侵攻には反対の立場を表明。同年4月のオムスクでのコンサートで、巨大な「Z」の横断幕があったため開催を拒否。これ以降彼らのロシア国内でのコンサートは当局からのキャンセルが続いた。6月に反戦ビデオクリップ「Колыбельная(Lullaby)」を公開。

彼らはビッグアーティストで外国人であるため(リョヴァはイスラエル国籍、シュラはオーストラリア国籍)、ロシア国外に出た時に再入国出来なくなり、ビジネスに問題が出るのではないかと憂慮していたようだ。それでしばらくロシア国内に留まっていたが、2023年はワールドツアーに出る。アメリカツアー中の5月、リョヴァはSNSにこう投稿する。

「あなたたちは殺人者だ。 プーチンと彼の精神薄弱のゴミどもがあなたの国を破壊した。 プーチンのロシアが今引き起こしているのは嫌悪感に次ぐ嫌悪感だけだ。 もうロシアには戻りません」

この2週間後、ロシア政府はリョヴァを「外国工作員」に認定した。

Zemfira

Wikipediaより

ゼムフィラ(Земфира)ことZemfira Talgatovna Ramazanova(1976年生まれ、現在47歳)は、ソ連崩壊後のロシアトップのロッククイーンである。2000年代を代表するロックアーティストであり、旧ソ連諸国では絶大な人気を誇る。
ウファ出身のヴォルガ・タタール人で、デモテープがMumiy Trollのイリヤ・ラグテンコの手に渡った事がきっかけでデビューする。大型新人として売り出されすぐにアルバムは大ヒットし、以降ビッグアーティストとしてロシアのロック界に君臨する。(Zemfiraについてはこちらの記事に詳しく書いたのでどうぞ)

ゼムフィラはソ連崩壊後のアーティストとしては比較的早くから反政府的な態度を表明してきた。2014年のロシアのクリミア併合はロシアのロック界を二分したが、上記のアンドレイ・マカレヴィチやユーリ・シュフチェクのようなベテランと共に、彼女も強く反対しウクライナへの連帯の意を表明した。2015年のジョージアトビリシでのコンサートで、彼女はファンから贈られたウクライナ国旗を広げてステージを行進した。この事がロシアのメディアからの猛烈な批判を集めたため、ロシアのプロモーターは彼女のコンサートのブッキングをキャンセルするようになった。しかしAfisha PicnicやStereoletoなどのインディー寄りのフェスティバルでは彼女はヘッドライナーを務めている。

2022年のウクライナ侵攻が開始されると自身のウェブサイトに「戦争反対」という声明だけを掲載。侵攻開始日にモスクワでコンサートを行ったが、その後国外に出たと報道された。3月にはYouTube反戦ビデオを公開。現在はパリに住んでいるらしい。2023年2月、ロシア政府はゼムフィラを外国工作員に認定した。

Dmitry Spirin(ex-Tarakany!)

nd "Russland ist sehr düster geworden" より

ドミトリー・スピリン(1975年生まれ、現在48歳)はソ連崩壊後のロシアのパンクロックで最も人気のあるバンドの一つであるTarakany!(Тараканы!)の中心メンバーだった。バンド活動以外にもラジオパーソナリティー、DJ、コラムニストなどもやっている。Tarakany!は日本のハードコアバンドSobutとの交流もあって来日もしたことがある。
彼らについてはこちらの記事で詳しく書いているが、キャリアを通じて動物愛護、反ドラッグ、反ファシズム、反レイシズム反戦といった活動を続けてきた。ロシアのしっかりと生き残ってきたパンクバンドにはこういうタイプが多い。ロシアのパンクアイコンは若くして亡くなった人が多く、多分アルコール過多のロシア的ライフスタイルのせいだろう。正義感の強い真面目なタイプだとこのライフスタイルは取らないから存命なのかも。

【80年代イギリスのOi!/nazi-punkの流れを汲んだ極右のネオナチパンクバンドもそれなりにいたようだが(Kolovrat / Коловрат 等)、古式ゆかしいパンクというものが次第に若者のトレンドではなくなるに連れて消えていったようだ。人種差別的な極右バンドはブラックメタルやペイガンメタルの方に多く、ロシアにはこういうジャンル(NSBM=National Socialist Black Metal)のバンドが実はかなり存在している。個人的にあまりこっち方面には明るくないのでこの程度にしておく。】

そういう訳なのでTarakany!は当然政権とも闘ってきた。2011年にベラルーシ政治犯を支援する公開書簡に署名すると、ベラルーシブラックリストに加えられコンサートが3年間出来なかった。2012年にはフェスティバルで公然とPussy Riotを応援するパフォーマンスをしたため主催者からセットが中止された。2015年のNashestvie(Invasion)フェスティバルが軍国主義化すると(戦車などの軍事装備品の展示と軍事ショーが含まれた。以後3年間続く)、彼らは反戦歌を演奏し曲の合間に聴衆に平和のメッセージを語り掛けた。その結果、主催者や反動的な観客から厳しい批判にさらされた。2020年には憲法改正に反対するビデオを公開した。

↑このインタビューはウクライナ侵攻後のTV2のプロジェクト「2022年2月24日:目撃者」からのものだが、これによると侵攻の1年前からバンドは政府と緊張関係にあったらしい。侵攻が始まると彼らのコンサートは当局からキャンセルされ、ロシア国内での活動が出来なくなった。バンドメンバーからもスピリンの日頃の反政府的な言動がバンド活動の妨げになっていると言われ、バンド内もきしみ始めたようだ。反戦活動で彼は国外に出ざるを得なくなったが、海外でコンサートをする場合は彼は当然ウクライナ支援の反戦コンサートに出るつもりだったので、他のメンバーとの間に齟齬が生まれたようだ。ロシア国内での活動も他のメンバーの身の安全が保障できないので、結果として解散する事になったらしい。侵攻のせいでロシア音楽の至宝の一つが解散する事になってしまった。
このインタビューではなぜプーチンが戦争を始めたのか、なぜ国民は声高に反戦を叫ばないのか、といった事を彼なりに分析しているので、一読をお勧めする。

Alexander “Chacha” Ivanov(NAIV)

Meduza "‘I just can’t block this out’ Punk singer ‘Chacha’ Ivanov spoke out in support of the Moskalev family at a recent concert” より

アレクサンドル・”チャチャ”・イワノフ(1968年生まれ、現在54歳)はソ連時代からのパンクバンドNAIV(Naive、Naïveとも表記、ロシア語ではНаив)の中心メンバーであり、ロシアのパンクロックアイコンである。NAIVはソ連崩壊直前にアメリカのレーベルからデビュー作をリリースし、海外で初めてアルバムがリリースされたソ連パンクバンドでもある。彼らについてはこちらの記事で詳しく書いているが、今も精力的に活動しているロシアンパンクの雄である。イワノフはNAIVが一時活動休止していた2009年にサイドプロジェクトのRadio Chachaを結成。NAIV復活後の現在も続けているようだ。こちらではデビューして間もない新進気鋭のラッパーだったNoize MCと共作したりと、パンクの枠をはみ出したようなものをやっているらしい。またイワノフはラジオやテレビ番組のパーソナリティーもやっていたようだ。SOS Recordsというパンクレーベルのオーナーでもある。

2012年、イワノフはPussy Riotを支援する公開書簡に署名。同年から妻と娘と共にアメリカのカリフォルニア州サンタバーバラに住んでいたが、2021年に帰国しサンクトペテルブルクに居住していた。
2022年にウクライナ侵攻が開始されると、弟分的な存在の上記のTarakany!が反戦活動のせいで解散を余儀なくされ、ドミトリー・スピリンは国外に出たが、イワノフはロシア国内に留まっていたようだ。

しかし2023年4月15日は、NAIVにとって運命的な日になった。当時ロシア国内ではマーシャ・モスカリョワという少女の事件が注目されていた。2022年4月、当時13歳の小学6年生マーシャは美術の授業で反戦の絵を描き、「戦争反対」「ウクライナに栄光あれ」という言葉を添えた。マーシャはFSBの尋問を受け、シングルファーザーの彼女の父親アレクセイ・モスカレフはSNSで軍の信用を傷つけたとの罪で起訴された。2023年3月、彼は当局に自宅軟禁され、マーシャは引き離され国の養護施設に収容された。
3月28日にアレクセイは懲役2年の判決を受けたが、その数時間前に自宅軟禁から逃亡していたので法廷にはいなかった。翌日ベラルーシ当局がミンスクで彼を逮捕し、ロシアに引き渡した。4月5日、マーシャの別居中の母親が彼女を引き取った。
4月15日のモスクワでのNAIVの結成35周年コンサートで、イワノフはマーシャ・モスカリョワの名前の入ったTシャツを着ていた。彼が聴衆にモスカレフ親子の迫害について語ると、彼らは拍手で反応し「戦争なんてくたばれ!」と叫び始めた。このコンサートを最後に、イワノフはロシアを出た。

↑この記事はイワノフがイスタンブールを経由してアメリカに渡る途中で書かれた手紙を全文掲載している。小さな町で素朴に暮らしていた父娘が、戦争反対の絵のせいで国家に引き裂かれ、父親の将来は限りなく暗い。こんな事があっていいのか?と彼は訴えている。
2023年はNAIV結成35周年の大々的なロシアツアーを行う予定だった。イワノフには14歳の娘がいて、マーシャの事は他人事だとは思えなかった。それで多分この事件についてSNSなどで批判的な発言をしていたのだろう。愛国的なメディアが「チャチャはロシアの裏切り者」と喧伝し始めた。春にツアーが始まるとすぐに、当局からの圧力で開催予定だったあらゆる都市でのライブとフェスティバルがキャンセルされ、奇跡的に免れたモスクワ以外はすべてなくなった。イワノフはこのモスクワが最後のライブになるかも知れないと思い、本当に言いたかった事を言おうと決心したらしい。これは英語記事で、伝統的にロシアの国家がどう民衆を統治してきたのか、という事が平易に書いてあるので是非読んでみてほしい。上記のドミトリー・スピリンの言葉と共に、ミュージシャンによる言葉は我々にも響きやすいと思う。

2023年4月、イワノフはアメリカ永住権を取得して以前住んでいたサンタバーバラに戻った。イワノフは実はニューヨーク生まれなので永住権を取りやすかったのかも知れないが、冷戦真っ只中にロシア人がニューヨークで生まれるってどういう事なんだろう?!親は大使館関係とか?この辺不明だが個人的に非常に興味あり。NAIVは元気にロシア国外ツアー中!

Elysium

zuvuki.ruより

Elysium(Элизиум)は1995年にニジニ・ノブゴロドで結成されたスカパンクバンドである。彼らを「ロシアンパンクの歴史」の記事に入れようかどうか非常に迷ったが、スカパンク系にはDistenperもいるのでひとまず断念。でもここでしっかり紹介したい。リーダーでベーシストのドミトリー・クズネツォフ(生年月日不明だが、40代だと思われる)を中心にロシアのパンクシーンで絶大な人気を誇ってきた。彼ら自身はスカパンクと呼ばれるのは嫌っているようで、「スペースロック」と自称しているらしい。スカ要素の他にもメタルやレゲエもミックスしたパンクサウンドである。クズネツォフは建築と金融という二つの高等教育を受けたので、10年間も大学に行っていたらしい。
結成後徐々に大きな会場でライブをするようになり、2001年に2ndアルバムからの曲がラジオでヘヴィーローテーションされて一躍全国的な人気バンドになった。Elysiumのメンバーは、スカなので普通のバンド形態にプラスしてトランペット等のブラス担当がいるが、さらにバックボーカルの女性メンバーがいるのがあまり他にはない特徴である。2002年にソロ活動をしていたクセニア・シドリーナを口説き落として加入させると、その華やかな存在感もあってより人気バンドになっていった。彼女が再びソロに専念するために脱退した後も、何人かの女性シンガーが参加した。

↑これは2015年のスタジアムでのライブで、昔のメンバーのクセニア(通称クシュ、赤い衣装の方)もゲスト参加したようだ。彼らの曲は男性ヴォーカルメインのものと、このように女性ヴォーカルがメインのものとがあるようだ。
メンバーは他のプロジェクトにも多数参加しており、これらをまとめて「エリジウム・ファミリー」と呼んでいるらしい。

彼らは社会問題について歌い、政治抗議活動もしている事で知られている。2007年以降の作品で特にその傾向が顕著になり、人種差別問題や戦争、政治腐敗、環境問題などについての歌詞が多くなった。2011年のアルバムプロモーションイベントで、彼らは来る大統領選で統一ロシアプーチンのいる与党)に反対する政党に投票するよう呼びかけた。2012年にはPussy Riotを支持し、彼女達のパフォーマンスを真似てマスクを被り(Pussy Riotは色とりどりの目出し帽を被って大聖堂などでゲリラライブをする事で知られる)反宗教曲を演奏した。この支援活動により、彼らは出演予定だったナイト・ウルヴズ主催のバイクフェスティバルへの参加を禁止された。

*ナイト・ウルヴズ(Ночные волки)とは1989年に設立されたソ連最初のバイカーズクラブ(アメリカのヘルズ・エンジェルズみたいなもの)で、90年代は東欧諸国にも支部を拡大し、現在は毎年大きなバイクショーやフェスティバルを開催している(クリミアのセヴァストポリのものが有名。バンドも多く呼ばれる)。保守的な思想を持ち、クラブの憲章によるとメンバーは「女性、麻薬中毒者、麻薬売人、同性愛者、悪魔主義者であってはならない」。次第にナショナリスト的な傾向を強め、ロシア正教会とも連携し愛国的な活動をしてきた。プーチンとの関係も深めたため、クラブはロシア政府から大統領助成金を度々受け取っている。またセヴァストポリの土地267ヘクタールも割り当てられた。クリミア併合・ドンバス地方の戦争を積極的に支援し、ウクライナ侵攻も全面的に支援しているため、全てのEU加盟国・アメリカ・カナダ・ウクライナ・スイスから国際制裁を受けている。*

2021年、Elysiumは「こんにちは、ナワリヌイです」という曲をリリース。コーラスではアレクセイ・ナワリヌイがSNSで自身の拘禁生活を宇宙旅行に例えた言葉を引用している。同年4月、モスクワのGlav Clubは、彼らがこの曲の演奏中にナワリヌイの写真を映す事を禁じた。
2022年のウクライナ侵攻にも当然反対したため、彼らは政府のブラックリストに入れられロシア国内での活動が出来なくなった。そのためVKコミュニティを部外者から閉鎖し、ファンだけに知らせる地下ゲリラライブ活動をしていた。しばらくロシアに残っていたが、ジョージアアルメニアでやっと公式にコンサートを開催する事が出来た。その時の様子を彼らが語っているインタビューがあるので、翻訳ソフトを使って是非読んでみてほしい。国境を通過する時の緊張感や現地での温かい歓迎など、ロシアで活動禁止になったバンドがサバイブしていく様子がよく伝わってくる。

『音楽ゲリラ。活動禁止になったロックバンドとして生き残るには』

 Louna

Bel Radioより

Lounaは2008年にモスクワで結成されたオルタナティブメタルバンドである。前のバンドでバンドメイトだったルシ-ネ・ゲヴォルキアン(1983年アルメニア生まれ、現在40歳)とヴィタリー・デミデンコ(1978年生まれ、現在45歳)が中心となって結成。この二人は現在夫婦である。大型新人としてデビューアルバムリリース前から大舞台で活動し、すぐにロシアで最も人気の若手ヘヴィロックバンドになった。2013-14年にアメリカ進出もして英語のアルバムもリリースしている。現在に至るまで、フェスのヘッドライナー、スタジアムクラスのビッグアーティストである。彼らについてはこちらの記事で詳しく書いているのでどうぞ。

彼らは非常に政治的・社会批判的な歌詞で知られている。2012年のプーチン大統領再就任に抗議する「百万人の行進」に参加し、パフォーマンスを披露した。
アメリカ進出に伴って、世界各国の圧政と戦うミュージシャンを採り上げたMTVのドキュメンタリーシリーズ「Rebel Music」のロシア編で彼らがフィーチャーされ、シリーズ全体のテーマ曲も彼らの曲が使われるはずだった。しかしロシア政府がMTVロシアに圧力をかけ、結果としてロシア編は放送されなかった。圧政に負けたのはMTVだったという皮肉。
2022年のウクライナ侵攻にLounaは強く反対の意を表明したため、ロシア政府のブラックリストに加えられた。そのためロシア国内での彼らのコンサートが次々とキャンセルされた。2016年にルシーンはイスラエル国籍を取得していたため、彼女はヴィタリーと息子と共にイスラエルに移住した。現在バンドはロシア国外のCIS諸国を中心に活動を続けている。

Pornofilmy

dubna.ruより

Pornofilmy(Порнофильмы 「ポルノ映画」の意味)は2008年にモスクワ近郊のドゥブナで結成されたパンクバンドである。ヴォーカルのウラジミール・コトリヤロフ(1987年生まれ、現在35歳)が中心となっている、現代のロシアで最も人気のある若手(と言えるかどうかだがパンクはベテランが多いので)パンクバンドの一つである。彼らの音楽性についてはこちらの記事で詳しく書いているので、ここでは政治的な面について述べる。
彼らは極めて政治的なバンドで、その歌詞は強い政権批判・社会批判をテーマとしている。そのため彼らのキャリアは常に当局とのトラブルと共にあった。積極的にバンド活動をするようになったのは2012年からだが、バンドの人気が高まってきた2016年以降、当局からの脅迫によるコンサートのキャンセルが相次いだ。これはもう毎年のように繰り返されている。
2018年のNashestavie(Invasion)フェスティバルは軍国主義に抗議して他のパンクバンドらと共に出演を拒否。
2021年11月、ロシア法務省は彼らの2016年の曲「Нищих убивай!(乞食を殺せ!)」を過激派素材のリストに加えた。バンドはこれに対して非常に驚いたらしい。なぜならこの曲は単にアメリカのDead Kennedysの「Kill the Poor」のロシア語訳カバーだったからだ。2022年2月、バンドはこの曲を過激派とした判決を取り消させるための訴訟を起こした。その後ヴォルゴグラード地方裁判所は過激派認定の判決を覆した。この案件は新たな審議のため差し戻された。よってPornofilmyは「過激派」ではなくなった!

・・・と思ったのもつかの間、2月24日にウクライナ侵攻が始まると、バンドはウクライナ支持を表明、国を出てラッパーのFaceらとウクライナ支援のためのチャリティコンサートを10回行い、義援金ウクライナの犠牲者に送った。バンドは主にCIS諸国で活動を続けている。
・・・とここでホットなニュースが!2023年9月8日、ロシア法務省はウラジミール・コトリヤロフを「外国の代理人」認定した。法務省によるとコトリヤロフ氏は「公然とウクライナを支持」し、「反ロシア的見解の形成を目的とした」活動を行い、「テロ活動を行う」人々を支援し、ロシア政府の政策に関する誤った情報を広めたという。
コトリヤロフは「全く気にしていない」らしい。

↑上記のLounaとPornofilmyは共演している。

Little Big

The Music Universe "Exiled Russian pop band Little Big drops anti-war single"より

Little Bigはロシアのみならずヨーロッパでも絶大な人気を誇る面白レイヴパンクグループである。彼らの魅力を理解するにはYouTubeのビデオを見るのが一番早い。ロシアンミームを多用したコミカルなビデオは延々と見続けてしまう。2020年のユーロヴィジョンロシア代表にも選ばれている(が、コロナ禍のため中止)。彼らについて詳しくはこちらの記事でどうぞ。
現在のメンバーはイリヤ・プルシキン(1985年生まれ、現在38歳)とソフィア・タルスカヤ(1991年生まれ、現在32歳)の二人である。本当はセルゲイ・マカロフ(生年月日不明)とアントン・リソフ(1979年生まれ、現在44歳)もメンバーだった。2022年6月、ウクライナ侵攻に抗議する反戦ビデオを公開し、拠点をロサンジェルスに移すと発表した。リソフとマカロフは家庭の事情でロシアに残り、Little Big加入前に活動停止していたJane Air(2000年代に大ブレイクしたラップメタルバンド。ロシアのNu-Metal的なバンドの先駆)での活動を再開した。イリヤ・プルシキンは「いつかまた(アントン・リソフとセルゲイ・マカロフとともに)一緒に演奏できることを願っています。残念ながら、すべては私たち次第ではありません」と語っているので、将来的に情勢が好転したらまた一緒にやりたいという事だろう。

ロシア政府は2023年1月にプルシキンを「外国工作員」のリストに追加した。リソフとマカロフは現在Little Bigの正規メンバーのラインナップからは外されているが、これは彼らがロシアに残るため、活動できなくなるのを防ぐ配慮だと思われる。(アントンのInstagramを見たが、まだ小さな息子さんがいるようで、これは確かに海外で不安定な生活をするのは無理だよなぁと)
Little Bigは2023年夏に全米ツアーを行っている。その後はヨーロッパも廻っているようだ。

↑2023年9月7日にアップされたLittle Bigのインタビュー動画があった。リスボンでのものらしい。ロシアを出たミュージシャンの海外での生活などたっぷり語っている。設定で自動翻訳の日本語字幕(ガタガタ訳だけど)が出せるので、大体の内容は理解できると思う。

IC3PEAK

Fillmore "Featured Event"より

IC3PEAK(アイスピークと読む)については個別記事を書いているので詳細はこちらを見ていただくとして、彼らは2013年にモスクワで結成した男女デュオである。アナスタシア・”ナスチャ”・クレスリナとニコライ・”ニック”・コスタイルフの二人だが、両者とも生年月日不明。しかしキャリアを始めたのは20代になったばかりだったらしいので現在30そこそこくらいか。音楽ジャンル的には暗黒エクスペリメンタル・エレクトロニックミュージックにヒップホップ要素を足したような、独特のものである。

当初は英語歌詞だったが、2017年にロシア語歌詞に転換してから、彼らは社会・政権批判の色を増していく。2018年の「Смерти больше нет(Death No  More)」のMVが社会的な議論を巻き起こし、「連邦政府への侮辱や青少年への自殺推進が含まれている」として政府は彼らを積極的に弾圧し始めた。2018年のノヴォシビルスクで予定されていたコンサート会場で、メンバーや主催者が駅で電車から降りてきたところを逮捕された。3時間の不当な拘留の後、西側メディアを含む世論の圧力を受けて彼らは釈放され、別の会場でパフォーマンスを行った。事実上、彼らの国内でのコンサートは禁止された。このことはロシアのアーティストにとって非常に象徴的な事件となった。2018年から度を越して検閲が厳しくなったようだ。

ウクライナ侵攻も当然反対の立場を取ったので、VKの彼らのアカウントはブロックされた。SNSでもプライベートな事をほとんど明かさないので今どこに住んでいるのかは分からないが、2022年、23年はアメリカツアーを行った模様。

↓こちらは2023年のRolling Stone Japanの記事なので是非読んでみてほしい。

★★↓以下のラッパーについては「現代ロシアのメインストリームシーン」の記事で詳しく書いているのでそちらを読んでいただきたいが、ここでは顔写真と年齢くらいでサッとどうぞ。現代のロシアではラッパーの存在感は本当に大きいので影響力は計り知れない。★★

Noize MC

All About Limassolより

Noize MCことイヴァン・アレクサンドロヴィチ・アレクセイエフ(1985年生まれ、現在38歳)はロシアでラップをメインストリームに押し上げた第一人者であり、社会派ラッパーの筆頭である。政権批判を早くからしていたため、2010年代初頭から政府からの弾圧を受けてきた。ウクライナ侵攻後はMonetochkaと海外でウクライナ支援コンサートを何度も開いている。現在はリトアニア在住。2022年11月、ロシア政府は彼を「外国工作員」に指定した。詳しくはこちらの記事でどうぞ。

Oxxxymiron

Fader "Russian rapper Oxxxymiron cancels sold-out dates as resistance to Ukraine invasion grows"より

Oxxxymironことミロン・ヤノビッチ・フェドロフ(1985年生まれ、現在38歳)はロシアで最も影響力のあるラッパーの一人である。オックスフォード大学を卒業しており、文学的なリリックの知性派ラッパーである。ロシアのラップバトルシーンを代表する存在でもある。抗議運動に参加し、ナワリヌイ支持を公言し、ウクライナ侵攻に抗議し海外でウクライナ支援のチャリティコンサートを開いた。2022年9月、一度ロシアに帰国したが、翌月ロシア政府は彼を「外国工作員」に指定した。詳しくはこちらの記事でどうぞ。

Face

Rolling Stone "The Russian Rapper So Dangerous, Putin Labeled Him a ‘Foreign Agent’"より

Faceことイワン・ティモフェーヴィチ・ドレミン(1997年生まれ、現在26歳)は若手の政権批判派ラッパーの筆頭である。上記のNoize MCやOxxxymironのような少し上の世代の社会派ラッパーは最初から「真面目」な内容の歌詞だったが、Faceのキャリアの初期はセックスや有名人について面白おかしく歌うような、言ってみれば他愛のないものだった。しかし当局が彼の性的表現を問題視し検閲した事がきっかけで、2018年に反体制派ラッパーとして生まれ変わる。以降は他の反体制派と同じくナワリヌイ支持を公言したり、そのせいでコンサートが当局によってキャンセルされたりした。ウクライナ侵攻に強く抗議し、SNSでもうロシアには戻らないと投稿。2022年4月の彼の誕生日に政府は彼を「外国工作員」に指定した。詳しくはこちらの記事でどうぞ。

↓Faceの「もうロシアには戻らない」というInstagramの投稿は現在は削除されてしまったが、この記事に内容が載っているので翻訳ソフトを使って是非読んでみてほしい。ロシアを鋭く批判していて覚悟の伝わる文章だ。他にもOxxxymironやNoize MC、Huskyなどについても書いている。

『ラッパーポイント。ウクライナ戦争中、ロシアのラッパーたちはいかにして抗議活動の最前線に立ったのか』

MORGENSHTERN

Afisha «Когда поймешь, что отказаться нельзя, — беги»: жизнь и приключения Алишера Моргенштерна(「断れないとわかったら逃げろ」:アリッシャー・モルゲンシュテルンの生涯と冒険)より

モルゲンシュテルンことアリッシャー・タギロヴィチ・モルゲンシュテルン(1998年生まれ、現在25歳)は、現代のロシアで最も人気のある、そして賛否両論渦巻くスーパーお騒がせラッパーである。ロシアではちょっと珍しいような稀代のトリックスターであり、上記の反体制派ラッパーとはまた少し違う、一筋縄ではいかない若きスーパースターである。
大学を放校になった後、顔に「666」のタトゥーを入れ、人気ラッパーのパロディ動画のYouTuberとして人気を得るが、ただのYouTuber・ブロガーとは思われたくなかったので(既に広告でかなり稼いでいた)2018年にオリジナル曲を自身のチャンネルで発表し始めた。いかにも今の世代らしくSNSで曲をバズらせる事に長けており、他のラッパーへの挑発、広告を組み込んだ動画で得た10万ルーブルを燃やしたりとまさに「炎上商法」で有名になった。
彼の転機は2019年に学生だった無名のビートメイカー、スラヴァ・マーロウをプロデューサーに迎えた事である。マーロウの才能を見抜きチームを組んで音楽的にも充実し、以後快進撃でスーパースターになった。詳しくはこちらの記事で書いているが、若い世代の支持を集める超人気者になった彼は2021年のインタビューでの戦勝記念日についての批判的な発言で大炎上した。「退役軍人への侮辱」と政府に取られ、身の危険を感じてドバイに逃亡。ウクライナ侵攻に抗議する反戦ビデオを公開し、2022年4月に政府は彼を「外国工作員」に指定した。現在もドバイから挑発的なビデオを公開し続けている。

モルゲンシュテルンは右派にも左派にも冒涜的な態度を取るような人物で、真意がなかなかつかめない。(1)の「賛成派」の記事で書いたティマティともコラボしているが、スラヴァ・マーロウの作ったコラボ曲のベース音は実はモルゲンシュテルンのおならの音を加工したものだったとか、YouTubeで150万の低評価を記録したティマティの「モスクワ」を抜こうと、自分のビデオも低評価を押すように呼び掛けたりとかしている。アレクセイ・ナワリヌイに曲を捧げたかと思えば、彼と個人的な面談をした結果「幻滅した」とも語っている。暴言ばかり吐いていると思えば、難病を患う3歳の子供へのチャリティ活動もしている。
また、実は彼は2021年にウクライナの「国家安全保障に脅威を与える人物のリスト」に入れられている。これはオデッサでのライブ中での発言が理由で、その数日前に大学の火災で16名が死亡。彼は市の粉飾決算を非難したため炎上し、そのような結果になったらしい(市は大学の消防検査を怠ったのにしたように記録改竄していたらしい)。「ウクライナの当局を批判するロシア人」と取られたからだろう。

とりあえず反戦ビデオを作ってウクライナへの連帯を示したので反対派に入れたが、つい最近のポッドキャストではロシアに戻りたいと語っているようだ。

『「移住中に魂を失わなければ良かったのですが」:モルゲンシュテルンはロシアに戻りたいと語った』(2023年8月23日)

2022年に彼はアメリカをツアーしているのだが、アメリカ人とはあまり上手くいかなかったようだ。離婚したのもあってドバイでは時折パニック発作を起こしたりしていて、心労とホームシックもあるのだろう。この辺はこの項の顔写真の引用元の記事に詳しく書いてある。長い記事だが非常に面白い。
な~んて事を言っていた直後の2023年9月8日、彼は新曲「Black Russia」を公開する。

なんと曲はロシアンシャンソンである。ロシアンシャンソンとは日本の演歌のようなもので、ロシア民謡と大衆音楽が混合したような音楽である。高齢者が聴くものというイメージがあるが、ロシアの心でもある。「なんだ遂にモルゲンシュテルンもロシアの魂に敬意を表して愛国心に目覚めたのか、ロシアに帰りたいって言ってたもんなぁ」と一瞬思わせるが、このビデオは極道ものスマホゲーム「Black Russia」の広告であることが判明。なんじゃそれ?(笑)
モルゲンシュテルンは右派も左派も笑い飛ばし、全ての権威をおちょくっているような人なのだろう。自分の人生を決めるのは国家ではなく、自分自身である。そんな人なのではないか。知らんけど(笑)個人的にはこういう人は好きだ。

コンピレーションアルバム「After Russia」

2023年1月、「After Russia」というコンピレーションアルバムがリリースされた。これはここで書いているようなウクライナ侵攻に反対してロシアを出たアーティスト達による反戦アルバムである。↑の動画のPornofilmyの他、Noize MC、NAIV、Tequilajazzzなどの人気アーティストが揃っている。

ロシア革命で成立したソビエト連邦では、ボリシェヴィキが1922年と1923年に数百人の芸術家や知識人をロシアから追放し、後に「哲学者の船」として知られる船で国外退去を強制した。このアルバムはそのことにちょうど100年後のこのウクライナ侵攻の反対者達をなぞらえている。亡命した作家や詩人の多くは、母国に戻れず読者に会えない運命にありながら、ロシア語で執筆を続けた。既に名声のあった芸術家は、亡命先のロシア人ディアスポラ(一般人にも革命や内乱を避けて、またボリシェヴィキ独裁政権に反対して国外に出た人がかなりいた。ロシア移民第一波である)にファンがいたので多少安楽に暮らせたが、まだ無名だった若い芸術家は貧困にあえぎながら海外でキャリアを積まなければならなかった。この若い世代で唯一国際的な名声を得たのは、「ロリータ」で知られるウラジミール・ナボコフだけだった(ナボコフ帝政ロシアの裕福な貴族の長男だった)。

このアルバムは、そうした「気付かれない世代」の詩人の詩に、現代のミュージシャンが曲を付けて演奏したものである。アルバムタイトルは1928 年にマリーナ・ツヴェターエワがパリで出版した詩集に由来している。アルバムのサイトと解説記事↓

↑また、この記事はロシアのミュージシャンたちがウクライナ侵攻中のロシアでどのように音楽を表現しているかを解説している。私がここで書ききれなかったアーティストにも触れているのでどうぞ。

ウクライナ侵攻に対するロシアのミュージシャンの姿勢それぞれ(3)現在の状況
に続く