Russian Indie Guide-ロシアのインディーロックガイド

ロシアのインディーロック、その知られざる素晴らしき世界

ロシアンパンクの歴史

Korol i Shut

Korol i Shut(Musifyより

あまり世界的には知られていないが、ロシアには実は非常に充実したパンクの歴史がある。今も昔もパンクロックをやらずにはいられないような社会だからだろうか。ロシアのロックの本格的な始まりもパンクシーン周辺からだったので、この歴史は絶対に無視できない。代表的なバンドを年代順に追ってみよう。

1970~80年代

Avtomaticheskiye Udovletvoriteli(Автоматические Удовлетворители)

鉄のカーテンに阻まれていても、70年代からソ連にはパンクシーン的なものは存在した。最初期のバンドの一つは1979年にレニングラードで結成されたAvtomaticheskiye Udovletvoriteli(Автоматические Удовлетворители、略称АУ Automatic Satisfiers 自己満足者の意味)である。ヴォーカルのアンドレイ・パノフ以外は流動的で、Kinoなどの後のレニングラードの有名バンドのメンバーがいた事もある。今聴いてみてもあまり古さを感じないのは驚きだ。1987年にレニングラード・ロッククラブに所属するまではアンダーグラウンドに居続けた。90年代半ばにバンドは二つのプロジェクトに分裂する。一つはパンクロックのまま、もう一つはダンスファンクをやっていたらしい。1998年にパノフが腹膜炎で死去し、バンドは消滅した。
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レニングラードソ連の最先端都市なのでこういうバンドがいたのも納得だが、バルト諸国やシベリアにもパンクシーンがあった。1980年代初頭はまだパンクとニューウェイブ(ポストパンク)の境界は曖昧だったが、ペレストロイカ期になるとはっきりと分かれるようになった。

Grazhdanskaya Oborona(Гражданская оборона)

ペレストロイカ期になると、アンダーグラウンドから出てきたレニングラードやモスクワのバンド達はスターになっていき、次第に商業主義的な方向へ進んでいった。しかし遠く離れたシベリアにあったパンクシーン(通称Sib Punk)はそれとは一線を画し、DIYベースのアンダーグラウンドであり続けた。シベリアンパンクシーンの中心人物であり、Grazhdanskaya Oboronaを結成したイゴール・レトフ(Egor Letov, Его́р Ле́тов)はシベリアのみならず「ロシアンパンクの父」と呼ばれ、現代に至るまでロシアや旧ソ連諸国の音楽に多大な影響を与え続けている最重要人物の一人である。レトフは数多くのシベリアのバンドに関わっている。
Grazhdanskaya Oboronaは1984年にオムスクでレトフと友人のコンスタンチン・リャビノフで結成。バンド名は「市民防衛(Civil Diffence)の意味で、長いので「Гроб(Grob、棺の意味)」と略される。レトフ以外のメンバーは流動的だった。彼らの反体制的な歌詞のせいでKGBからの妨害によりアルバム録音が出来なかったり、リャビノフが心臓の持病があるにもかかわらず軍隊に送られたり、レトフが精神病院に強制入院させられたりと相当ハードな日々だったが、80年代後半にはバンドの名前はソ連中に知られるようになった。しかしレトフはバンドの名声にうんざりしており、商業化するのを恐れて1990年に活動を停止する。他のプロジェクトを挟んだ後、1993年に再結成。
80年代は専制主義とナショナリズムに反対する姿勢だったにもかかわらず、左派ナショナリストの国家ボリシェビキ党の創設メンバーになったりとレトフは政治的矛盾も抱えた人物であったが、99年頃には政治とは距離を置いた。2008年にレトフは睡眠中の心不全と呼吸不全で死亡。享年43歳。
彼らの音はザラザラとした質感のガレージパンクであるが、ノイズやインダストリアルのようなエクスペリメンタルミュージックの要素と、レトフの書く独特の歌詞(様々な芸術作品からの引用を多く使用する)によって強烈な個性を放っている。90年代にはサイケデリックロックに変化した。現代のロシアの人気バンドも彼らからの影響を公言する者は数多い。比較的多作なバンドであるが、サイドプロジェクトやレトフのソロ作品も多いので膨大なディスコグラフィーになる。
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Nstruktsiya Po Vyzhivaniyu(Инструкция по выживанию)

他にシベリアン・パンクシーンではチュメニ出身のNstruktsiya Po Vyzhivaniyu(Инструкция по выживанию、Survival Guideの意味)が有名。シベリアのシーンはKGBとのバトルを経験するバンドが多かった。

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Obyekt Nasmeshek(Объект Насмешек)

Obyekt Nasmeshek(The Object of Ridicule、「嘲笑の的、物笑いの種」の意味)は1985年にレニングラードでアレクサンダー・アクショノフ(Vo、通称リコシェ)によって結成された。レニングラード・パンクロック第二波を代表するバンドである。結成後すぐに人気バンドとなり、レニングラード・ロッククラブにも所属していた。大規模なフェスティバルにも出演した最初のソ連のパンクバンドとなった。しかし1990年の「Сделано в джунглях」がKinoのような音になったためにファンが離れ始め、1991年に解散。リコシェ以外のメンバーは、後に90年代を代表するオルタナティブロックバンドとなるTequilajazzzを結成。リコシェは2007年に死去するまでソロ活動とプロデュース業などに携わった。
なおリコシェはKinoのヴィクトル・ツォイの未亡人マリアンナの事実上の夫であり、ツォイの息子アレクサンダー(ミュージシャン、グラフィックデザイナー)は彼の息子ではないかという疑惑があるらしい。
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Brigadniy Podryad(Бригадный Подряд)

Brigadniy Podryad(Brigadier Contract、日本語にすると准将契約と翻訳ソフトで出たがbrigade in a rowという訳もあってこれは「一列に並んだ旅団」)はレニングラードで1985年に結成された。レニングラード・ロッククラブにも所属していたので間違いなく80年代のカテゴリなのだが、このバンドが一番成功したのは2010年代なのでここにいれていいものなのかどうか。しかも90年に一回解散しているのだが、とりあえずここに入れておく。↑のビデオは2016年のものである。
1986年にセルフタイトルの1stアルバムをリリースし(2006年の再発では「1986」と改題されている)、ライブやフェス参加もしていたが、80年代後半になると活動もまばらになり、90年にひっそりと解散。しかし92年に活動再開、96年に過去の曲を共作してきた旧知のパンク詩人Anton Soya(後に作家として大成功する)のプロデュースで本格的に再始動する。メンバーチェンジが頻繁にありつつも、99年には既に大人気バンドとなっていたKorol i Shut(下記参照)が主催した、サンクトペテルブルクのパンクオールスターズフェスティバルに出演したり、2001年にはNAIV(下記参照)のメンバーが設立したレーベルからアルバムを出したりと後輩バンドからのリスペクトとサポートを受けた結果、シングル曲がチャートの2位になったり大規模フェスに参加したりと着実に人気バンドになっていった。2013年の16枚目のアルバム「Сомнамбула(夢遊病者)」はシングルヒットも多数出し、バンド最大の売上を記録。現在も活動中。
彼らはいかにもパンクパンクした見た目だが、2010年代以降のアルバムは適度にメロディアスなものになっている。メンバーの変遷が激しく、オリジナルメンバーは一度脱退して出戻りしたAlexander "Santer" Lukyanovのみであるが、40年近いキャリアを誇るロシアのパンクレジェンドの一つである。
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90年代

Sektor Gaza(Сектор Газа)

Sektor Gaza(ガザ地区の意味)は1987年にヴォロネジでユーリ・クリンスキーにより結成。このバンドはロシアのロックを語るうえで何かと興味深い存在である。
クリンスキーは当初「Yuri Khoy(ユーリ・ホイ)」というステージネームを名乗っていた。「ホイ」というのはOi! punkの「Oi」から来た言葉で、ソ連・ロシアのパンクスの間で挨拶の言葉として広く使われた。「ヘイ!」とか「ハイ!」みたいな感じか。
彼らの出身地ヴォロネジはロシア南西部の地方都市で、周辺はロシア屈指の穀倉地帯である。80年代後半、クリンスキーはレニングラードのようなロッククラブをヴォロネジにも作り、レギュラーメンバーになった。80年代はヴォロネジのローカルバンドでしかなかったが、90年代になるとモスクワでのレコーディングの機会に恵まれ全国的な名声を手にした。91年には「Колхозный панк(コルホーズ・パンク)」のビデオクリップ↑がテレビでも放送され、バンドの人気に貢献した。CIS諸国でも非常に人気のあるバンドとなったが、2000年にクリンスキーが肝臓病のため急逝。享年35歳。
Sektor Gazaは↑のビデオからも分かるように、どことなく田舎臭い雰囲気をまとっている(髪型もマレットヘアだし)。「コルホーズ・パンク」のコルホーズとはソ連の集団農場の事だが、パンクのサブジャンルの「Cow punk(カントリーミュージックの影響を受けたパンク)」のロシア版と考えればいいだろう。音もハードロックやロシア民謡などいろいろな要素を親しみやすく取り込んでおり、レニングラードの先鋭的なパンクバンドとは正反対の方向性だ。大都会のバンドは歌詞もアーティスティックだが、彼らは卑俗な言葉を使った大衆的な表現を好んだ。ロシアのパンクシーンを先導したバンドからは「あいつらとは一緒にするな」というような反応もあったようだ。
ソ連・ロシアのロックシーンは西洋のロックに多大な影響を受けたサンクトペテルブルクレニングラード)とモスクワのバンドがどうしても多数派を占めるが、やっぱりもっと親しみやすい、庶民的なロシアっぽいバンドの需要も当然あったのだろう。だから彼らの人気は高かった。日本で言うと、80年代の日本のロックを背負っていたバンド達は横浜銀蝿とは一緒にされたくなかっただろう。でも横浜銀蝿の人気は非常に高かったし、ロックかそうじゃないかと言われたらやっぱりロックだ。そんな感じなのではないか。ちょっと話がそれるが、80年代の日本のバンドもソ連のバンドと同じように英米のバンドを必死に追いかけて、「あんな風にかっこいいバンドになりたい」と試行錯誤してきたので、結構日本とロシアのロックの成熟のスピードは似たようなものなのではないかと個人的に感じている。私は現代のロシアのインディーバンドの洗練度に驚愕したが、今の日本の若手バンドもその前の世代に比べて遥かに洒落たコードを使ったりしている。日本の「洋楽」リスナーがソ連のバンドのビデオを見ると「ダッサw」と思うかもしれないが、日本の80年代の人気バンドのビデオも今見ると相当ダサいからw そう考えると、ロシアのロックの成長度合いも想像しやすいのではないかと思う。
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NAIV(Наив)

NAIV(またはNaive、Naïveなどのラテン表記)は1988年にモスクワでAlexander "Chacha" Ivanov(Vo)とMaxim "Fat" Kochetkov(B)によって結成された。彼らはモスクワ・ロック・ラボラトリーのメンバーであり、Tarakany!やDistemper、Va-Bankらと共にモスクワのアンダーグラウンドロックシーンを形成していた。
1990年にアメリカの超有名パンクファンジン「Maximum Rocknroll」のレーベルからデビューアルバム「Switch-Blade Knaife」をリリース。これはアメリカでリリースされた最初のソ連のパンクバンドのアルバムとなった。Maximum Rocknrollは当時のアメリカのパンクジンとしては珍しく、世界各国のパンクシーンをフォローしていたのでNAIVのリリースにつながったのだろう。当時のMRRのライターであったAlexander Herbertは「What About Tomorrow?: An Oral History of Russian Punk from the Soviet Era to Pussy Riot (Punx)」という本を2019年に出している。

「Switch-Blade Knaife」はソ連国営チャートにも長期間ランクインし、好調なスタートを切った。2ndアルバムを出した後1993年に初のヨーロッパツアーを経験し、その後ロシアパンク界で着実に人気バンドとなっていった。しかし2009年に一旦活動休止。イワノフは新プロジェクトを開始、他のメンバーはAgata Kristi解散後にグレブ・サモイロフが始めたThe Matrixxに参加。2013年にバンド再開。現在もロシアパンク界の重鎮として活動を続けている。
彼らの初期の音は「Sex Pistolsが好きなんだろうなぁ」と思うような明るめの音だが、ギターのエッジが立っていて硬質な感じだ。以降は時代の流れに沿ってポップパンクやオルタナティブロックの要素も。
デビュー当時の↑のビデオを見ても、ソ連のバンドとは思えないくらいダサくないしステージアクションもパンクバンド然としている。Sektor Gazaのビデオと同じ年とは全く思えないw モスクワのシーンはそれだけ洗練されていたのだろう。

なお、彼らはウクライナ侵攻に反対したため現在ロシアを出て活動している。その辺の事はこちらの記事でどうぞ。
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Tarakany!(Тараканы!)

Tarakany!(ゴキブリ!の意味)は1991年にモスクワで結成された。1997年まではЧетыре Таракана(4匹のゴキブリの意味)名義だった。結成当初はメンバーはまだ高校生で、モスクワ・ロック・ラボラトリーに所属していた。活動を通じて中心メンバーだったDmitry Spirinは当初ベーシストだったが、シンガーの脱退により途中からヴォーカルに転身。
初期のアルバムではSex PistolsRamonesThe Clashの影響下にある音だったが、Feelee Recordsとの契約後(バンド名を変えてから)はGreen DayNOFXのようなポップパンクに変化し、バンドの人気も急速に高まっていった。
彼らは日本のSobut(90年代に非常に人気のあったハードコアバンド)と交流があり、2001年にスプリットアルバム「Punk This Town」をリリースしている。日本ではこれが一番手に入りやすい音源だ。また翌2002年には来日して東名阪ツアーをSobutと共に行っている。Sobutは90年代後半から海外ツアーを行っており、ロシアにも行っている。その時に共演して仲良くなったのではないかと推測する。

また彼らは動物愛護、反ドラッグ、反ファシズム、反レイシズム反戦等の様々な活動を行っている。2022年のウクライナ侵攻以降彼らのコンサートは当局によって相次いでキャンセルされ、事実上ロシアでの活動が出来なくなったためバンド活動の終了を宣言した。出国を余儀なくされ、現在はブダペストにいるらしい。Spirinはソロでロシア外の国を廻ってライブ活動をしているようだ。その辺の事はこちらの記事でどうぞ。
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Distemper

Distemperはロシアで一番有名なスカパンクバンドである。モスクワで1989年に結成。90年前後のモスクワアンダーグラウンドシーンの一端を担っていた。初期はハードコアパンク~クロスオーバースラッシュをやっていたが、1995年以降はホーンセクションを入れてアップビートなスカにシフトした。2000年代初頭はロシアでスカコアブームが起こったこともあって、彼らはこのシーンを代表するバンドとなった。2000年代は積極的に海外でもツアーを行っている。
彼らの魅力はエネルギッシュなライブパフォーマンスにあり、ライブ中にはバンド名にちなんだ(ジステンパーは犬の病気)彼らのマスコット「クレイジードッグ」(犬の着ぐるみ)が登場して盛り上げる。コミカルで楽しいライブだ。
彼らもTarakany!のようにキャリアを通じて反差別・反ファシズムを表明し続けており、ヨーロッパの反ファシストフェスティバルには何度も出演している。2018年にはシンガーのViacheslav "Dacent" BiryukovがFSBによって拷問された反ファシストを支持するビデオメッセージを公開し、ロシアパンクシーンの他のバンドからもサポートされた。ロシア最大のロックフェス「Nashestvie(Invasion)」の軍国主義化に抗議して出演を拒否(下記Yorshの項参照)。
幸い彼らはTarakany!のように国外に出国することにはならず、現在も元気に活動中。
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Korol i Shut(Король и Шут)

Korol i Shut(King and Jester、王様と道化師の意味。発音は「コロール イ シュー」みたいな感じ)はロシアで最も成功したパンクバンドである。言わば「ロシアのMisfits」のようなバンドであるが、ホラーパンクにロシアの民間伝承や神話といったフォークロア要素を盛り込んだ独特のスタイルで絶大な人気を誇った。ロシア民謡の要素も取り入れているのでヴァイオリン奏者がメンバーにいるのも特徴的である。ミハイル「ゴルシュカ」ゴルシェニョフ(↑のビデオとこの記事トップの写真のツンツン頭の人)はロシアのパンクアイコンである。
1988年、レニングラードサンクトペテルブルク)でクラスメートだった Mikhail "Gorshok" Gorsheniov(Vo)、Aleksandr "Balu" Balunov(G/B)、Aleksandr "Lieutenant" Shchigoliev(Ds)によって結成された。翌年Andrei "Kniaz(王子)" Kniazev(Vo)も加入(ツインヴォーカルバンドである。ロシアフォークロア要素を持ち込んだのは彼)。1991年頃から本格的な活動を開始し、サンクトペテルブルクの伝説的なクラブTaMtAmで演奏していた。TaMtAmはサンクトペテルブルクのパンク/オルタナティブシーンの中心地でここから数多くの有名バンドが羽ばたいていったが、Korol i Shutは最も成功したバンドであった。
1996年に1stアルバム「Камнем по голове(Stone on the Head)」をメロディヤからリリース。大規模なフェスティバルにも参加し始め、翌1997年にはセルフタイトルの2ndアルバム「Korol i Shut」をリリース。1998年にはMTV Russiaも開局し、彼らのビデオクリップはヘヴィーローテーションされ全ロシアに知られるようになった。
2000年代前半は彼らの人気のピークで、チャートのトップに何度も君臨し、フェスティバルのヘッドライナーになり、アメリカも含む海外ツアーも行った。後半になるとメンバーの脱退があったりしたが、引き続きロシアを代表するビッグアーティストとして活発な活動を続けていた。
しかし2013年にミハイル・ゴルシェニョフがドラッグとアルコールのオーバードーズにより死去。享年39歳。残されたメンバーはSevernyy Flot(Северный флот、北方艦隊の意味)として活動していく事を宣言した。Severnyy Flotはインダストリアルメタルっぽいオルタナティブメタルをやっており、現在も活動中。また2011年に脱退したアンドレイ・クニャゼフのバンドKnyaZzも活動中。
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Korol i Shutも出演していた伝説的な90年代サンクトペテルブルクのパンククラブ「TaMtAm」についてはこちらの記事でどうぞ。

 

2000年代~

F.P.G.

F.P.G.は1998年にニジニ・ノブゴロドで結成されたハードコアパンクバンドである。デビューアルバムは1999年に出ているが、本格的な人気が出たのは2000年代なのでこの時代の括りに入れた。ヴォーカルのAnton "Pukh" PavlovとギターのDmitriy Seleznevを中心に結成。F.P.G.とは「Fair Play Gang」の略らしい。1999年に自主制作で1st「Родина Ждёт Героев(Motherland Waits for Heroes)」をリリース、同年モスクワのSoundAge Productionsからリリースされた。2001年に同レーベルから2ndアルバム「Гонщики(Racers)」をリリース。2005年以降は大規模なフェスティバルにも出演するようになり、2010年代にはヘッドライナーにもなっている。また彼らは自身のアイドルであったイギリスのThe Exploitedと何度もロシアでライブをしている(↑のビデオも後ろにThe Exploitedの垂れ幕が見える)。現在も活動中。
彼らのサウンドはスピード感溢れるハードコアに、まくしたてるロシア語ヴォーカルが乗っかるスタイル。確かにThe Exploitedの影響は大だろう。キャッチーなパンクの要素もあり、ブラスも入れたりと結構幅広い音楽性だ。ロシア語パンクの良さを凝縮したような非常にかっこいいバンドで個人的にも好きなタイプである。
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Yorsh(Йорш)

Yorshはモスクワ近郊のクリモフスクで2003年に結成されたパンクバンドである。当初は70年代のUKパンクのようなロックを演奏していた。2006年に1stアルバム「Нет Богов!(No Gods!)」をリリース。2008年に2ndアルバム「Громче?!(Louder?!)」をリリースし、初の単独公演が実現したりTarakany!、F.P.G.、Brigadniy Podryad、Purgen等の人気パンクバンドの前座を務める。以後大規模なフェスに参加したりロシア中をツアーしたりと好調であったが、2009年のカリーニングラードのライブ中に右翼グループから爆発物を投げ込まれるという事件が起きる。幸い2名の軽傷者が出ただけであったが、2010年にシンガーのDmitry Sokolovが脱退しバンドは一時解散。しかしすぐにまた再結成し、2011年には大成功を収めた3rdアルバム「Добро и Зло(Good and Evil)」を発表。ツアーを再開する。以後は大手レーベルからアルバムを出し、ラジオでもヘヴィーローテーションされ、チャートでも健闘と人気バンドへのステップを登っていった。
2018年、彼らはPornofilmyやDistemperなどのバンドと共に、ロシア最大のロックフェス「Nashestvie(Invasion)」にロシア国防省が参加するという事を理由に出演を拒否する。2019年のアルバム「#Нетпутиназад(#Netputinazed、Нет пути назадを英語にすると"no way back"と翻訳ツールで出たが、"Нет"は"No"で"путин"は"putin"なので「No Putin」も掛けているのではないかと推測する)」と反プーチン的とされたビデオ「боже царя хорони(God bury the Tsar)」のため、メンバーのSNSアカウントがブロックされたりコンサートが当局からキャンセルされたりしたが、このアルバムは彼らの最も成功した作品となった。
彼らの音はオルタナティブロック寄りのパンクだが、オールドスクールパンクと現代的な音がちょうどいいバランスでミックスされたスタイルである。あくまでも自分達はパンクバンドである、という自負が感じられ、今のロシアンパンクを代表する存在だろう。
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Louna

Lounaは2008年に共に元Tracktor BowlingのLusine "Lu" Gevorkyan(Vo)とVitaly "Vit" Demidenko(B)を中心にモスクワで結成されたオルタナティブメタルバンドである(彼らは現在夫婦である)。パワフルな女性フロントのオルタナティブメタルバンドでものすごく人気があるという点で、「ロシアのIn This Moment」のような存在かも知れない。バンド名は月を意味する彼女の名前にちなんでいる。彼らは強い社会批判的な歌詞で知られている。
彼らのキャリアは最初から非常に順調で、デビューアルバムを出す前から賞を受賞したりフェスに出演していた。2010年の1stアルバム「Сделай громче!(Turn It Louder!)」にはTarakany!のDmitry Spirinや、なんとアメリカのSystem of a DownSerj Tankianが参加している。Lusineはアルメニア生まれで、Serj Tankianアルメニア系なので民族的なネットワークで繋がったのではないかと推測される。このアルバムからのシングルはチャートでもヒットし、翌2011年のNashestvie(Invasion)フェスティバル(ロシア最大のロックフェス)では新人バンドにもかかわらずメインステージに出演。当初から大型新人扱いだったのだろう。2012年の2ndアルバムもヒット曲に恵まれる。彼らはまた同年5月の「100万の行進」と呼ばれるモスクワでのプーチンの大統領再就任式に抗議する大規模デモ行進に参加。
もうロシアやCIS諸国では十分トップバンドになったので、次のステップとしてアメリカ進出を計画。2013年に初の英語歌詞のアルバム「Behind a Mask」をアメリカでリリース。同年The Pretty Reckless及びHeaven’s Basement共に大規模な全米ツアーを敢行。シングル「Up There」は全米トップ100に入った。2014年にLusineの出産のため一時バンドは活動休止するが、翌年復帰。以降ロシアのヘヴィーロックを代表するバンドとして活動を続ける。
しかし2022年のロシアのウクライナ侵攻に抗議する声明を出したため、ロシア政府による「好ましくないバンドリスト」にLounaが加えられ、ロシア国内のコンサートは当局によって相次いでキャンセルされた。バンドは活動拠点を海外に移した。現在LusineとVitaly は息子と共に市民権を取ってイスラエルに住んでいるらしい。
2013年の彼らのアメリカ進出時、MTVで「Rebel Music」という世界各国の圧政に抗議するミュージシャンを扱ったドキュメンタリーシリーズが作られ、彼らはロシア編でフィーチャーされ、彼らの曲「Storming Heaven」はシリーズ全体のテーマ曲に使われるはずだった。しかしロシア政府の圧力により、彼らのエピソードは削除された(ソース)。MTVはレベルミュージックのドキュメンタリーを作っといてロシア政府の圧力に負けるとは。MTV Russiaに圧力をかけたらしいが、ロシア国内での放送免許取り消しをちらつかせたのかも知れない。
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Pornofilmy(Порнофильмы)

Pornofilmy(ポルノ映画の意味)は2008年にモスクワ北部の科学研究都市ドゥブナ(つくば市みたいな所と推測)で結成された。彼らはロシアで最も人気のある若手パンクバンドの一つであり、極めて政治的な歌詞によって他のパンクバンドとは一線を画している。また彼らはベジタリアンであり、飲酒・喫煙・ドラッグも一切やらないというストレートエッジ的なライフスタイルのバンドである。
結成当時、ヴォーカルのVladimir Kotlyarovはひどい飲酒癖があり書く歌詞もアルコールの事ばかりだったが、ある時きっぱりと飲酒をやめ、現在のようなライフスタイルになったらしい。2012年にEP「Искусство(アート)」をリリース、同年に1stアルバム「Скучная жизнь(退屈な生活)」を出し、以後コンスタントに作品を出していてアルバムは現在9枚とキャリアの長さと比較しても多作な方である。ブレイクスルーとなったのは2017年の8枚目「В диапазоне между отчаянием и надеждой(絶望と希望の狭間で)」で、高い評価を集めシングルもチャート上位になった。彼らはこのアルバムのリリース発表時に、白血病の慈善団体への寄付のためにクラウドファンディングで資金を集めた。彼らはしばしばチャリティコンサートを開催している。
体制や社会批判的な歌詞のため、やはり当局からは睨まれていて頻繁にコンサートをキャンセルされている。また2018年のNashestvie(Invasion)フェスティバルの軍国主義化に抗議して出演を拒否している(上記のYorshの項を参照)。2022年のロシアのウクライナ侵攻では「私たちの国が傲慢なゴプニク(ロシアのヤンキー)のように振る舞うことを恥じている」と述べ、ウクライナを支持した。これによって彼らは政府の「好ましくないバンドリスト」に加えられ、事実上ロシア国内での活動が出来なくなり現在はバンド全員でジョージアトビリシに拠点を移している。

Pornofolmyは↑の動画でも分かるように巨大なコンサート会場を満員に出来るほどの動員力があり、若い世代からの人気がとても高い。「絶望と希望の狭間で」の1曲目「Россия для грустных(悲しき民のロシア)」の歌詞は外国人の私からしても突き刺さるものがある。よく見ているロシアの街頭インタビューチャンネルに登場する政治に無関心な若者の姿と被る。

おいおい、悟ったような顔して笑ってるんじゃねぇよ
お前はここでとても幸せそうだな、少年よ

ちゃんと考えるんだ、ちゃんと感じるんだ
心は墓の中、魂は牢獄の中
これがロシアだ-悲しき民のロシア
選択肢もない、変化もない
選択肢もない、変化もない
ここでは!

最初彼らのバックグラウンドを全く知らずにサブスクで音だけ聴いて非常に気に入ったのだが、切羽詰まったような速いリズムに訴えかけるようなヴォーカル、ストイックさを感じさせるサウンドは、後からどんなバンドなのかを知ったらなるほどなとやけに納得できたのであった。ジャンル的にはポップパンクになるのだろうが、これ系によくある明るい曲調ではなくマイナー調で疾走する様はやはり一味違う。生真面目で誠実なバンドなんだろうというのがよく伝わってくる。こういうバンドがロシアの若者の間で大いに人気があるというのは、かすかな希望を抱かせる。彼らのYouTubeの動画はすべて↑のようなサムネイルになっているのも、儲け度外視の誠実さを感じさせる。良いバンドだ。
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Pussy Riot

一般的に「ロシアのパンクバンド」といったら一番知られているのがPussy Riotだろう。2010年代初頭から反プーチン活動で度々海外ニュースで報道されてきた。世界各国の有名バンドも彼らへの支持を表明してきたので、音楽ニュースメディアでも目にした事があるかも知れない。
彼らは2011年にモスクワで結成された。メンバーは皆匿名の女性でカラフルな目出し帽を被り、許可されていない場所(赤の広場、地下鉄駅、大聖堂など)でゲリラライブをする事で知られている(上↑の動画は2012年の赤の広場でのゲリラライブ。この後彼らは拘留された)。メンバーにはプロテスト・ストリートアート集団出身の者も多いようだ。パフォーマンスで彼らはロシアにおける政治的抑圧、性差別やLGBT弾圧、家父長制、受刑者への人権侵害などへの抗議を主張している。
2012年にメンバーの三人が救世主ハリストス大聖堂で「フーリガン行為」をしたという事で逮捕され、世界中で「Free Pussy Riot」運動が広がった。Louna(上記)も彼らの弁護費用を集めるために自分達の曲を提供した。彼らは有罪となり2年間の禁固刑を言い渡され服役した。以後彼らはYouTube等のオンライン上やワールドカップ会場などの場所で抗議運動を続けてきた。ウクライナ侵攻では当然ウクライナを支持したので政府から拘束されたメンバーもおり、ほとんどはロシアを脱出し海外に住んでいる。

彼らの本質はミュージシャンというよりもアクティビストなので、ここで紹介しするかどうか迷った。作品も2016年に「xxx」というEPを出してはいるがフルアルバムを継続的に作るわけでもなく、単発的に曲をネット上に上げるようなものなので音楽活動が主体だとは言えないだろう。曲やMVをYouTubeに上げてその収益を抗議活動に充てるのが目的で、音楽は手段であると言える。しかしパンクとはそもそも政治的・社会的主張の手段でもあったので、やはり彼らはパンクバンドだ。音楽で表現しているからこそ世界的に注目を集めているのも事実だ。個人的には正直Pussy Riotの音楽を聴いてもあまり楽しめないが、「現在世界で一番有名なロシアのパンクバンド」をここで紹介しないのはどう考えてもおかしい。という事で彼らをこの長尺記事のトリに持ってきた次第である。アクティビストとしての彼らの活動は大いに応援している。しかも戦いの真っ最中だ。彼らの戦いが終わる日が来ることを切に願っている。
なお、音楽的にパンクロックだったのは初期で、近年はポップミュージックに変わっている。
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・・・とここまで書いてきて、ロシアのパンクバンドには抑圧的な政治体制に反対の姿勢を貫いてきたバンドが多い事に改めて気付いた。ロシアはパンクロックをやるべき理由が死ぬほど多い国であるので当然なのかも知れない。政権に楯突いたら逮捕される危険があるから命懸けだ。だからこそ説得力がある。西側世界にはスタイル的にはパンクでも、特に「パンク」な事を歌っている訳ではないバンドはごまんといる。命懸けでパンクをやっているロシアのバンドもたくさんいるんだという事をどうか知ってほしい。また、現代ロシアでは反体制的なヒップホップも非常に充実しているので是非どうぞ。
ここで紹介したのは本当に代表的なバンドのみなので、さらなるバンドはサブスクのプレイリストでどうぞ!↓Apple Musicには適当なものがなかったので上記バンドのページから関連バンドをたどってください。後で自分でプレイリストを作るかも。