Russian Indie Guide-ロシアのインディーロックガイド

ロシアのインディーロック、その知られざる素晴らしき世界

現代ロシアのメインストリームシーン

Morgenshtern

Morgenshtern(PopKultより)

この記事では現代のロシアの音楽シーンで人気のメインストリーム系アーティストについて書きたいと思う。このブログが扱うのも、私個人の興味もインディーシーンだが、やはりメインストリームの事をある程度知らないとインディーの立ち位置も分からないだろう。
世界の他の国と同じく、ロシアでもロックは若者のメインカルチャーではなくなり、ヒップホップが一番のシェアを占めている。とは言えロックファンもいることはいるらしい。ロシアのヒップホップシーンは非常に層が厚く、ああいう政治体制であるので反体制派のラッパーの存在感は非常に大きい。
ここで紹介するのもラッパーばかりになりそうだが、他にも特徴的なアーティストをいくつか採り上げたいと思う。個人的にラップの知識はそれほどないので音楽性はあまり突っ込めないが、ロシア社会での立ち位置などをお伝えしたい。なお、ソ連時代からの大御所も今でも活躍しているが、ここでは若い世代のアーティストを扱う。

ラッパー

ロシアでは実はソ連の頃からヒップホップ的な音楽の芽はあったが、やはり本格的にシーンが形成されたのはソ連崩壊後だ。ロシア初のラップグループは1989年にサンクトペテルブルク(当時はレニングラード)で結成されたBad Balanceだとされる(「Public Enemyへのロシアからの回答」みたいな立ち位置だったらしい。現在も活動中)。1990年代からアンダーグラウンドで活動を始める者が徐々に増え始め(「ワグネルの乱」で一躍有名になったロストフ・ナ・ドヌーはその震源地であった。このシーンの代表的なアクトはKasta〔Каста カーストの意味])、2000年代にはラップバトル大会も開催されるようになった。勝ち抜いた者はアンダーグラウンドヒーローとして知名度を高めていった。2010年以降は完全にメインストリームの音楽になる。2018年に政府がラップを弾圧し始めたのもあり、近年は極めて政治的な姿勢のラッパーが増えている。
ここでは現在のロシアで最も有名なラッパーを何人か紹介したい。

Noize MC

Noize MCことIvan Aleksandrovich Alekseyevはそんなラップバトルを勝ち抜いて有名になった、ロシア社会派ラッパーの代表格である。彼は1985年スモレンスク州ヤルツェボ(ロシア西部)生まれ。両親の離婚後母親とロシア中央部のベルゴロドに移る。子供時代は音楽学校でクラシックギターを学び、地域のクラシックギターコンテストで2度優勝するような優秀な生徒だった。Nirvanaのようなギターロックのファンでロックバンドもやっていたが、Prodigyに影響を受けたりし、ラップも手掛け始める。地元のラップコンテストで頭角を現すが、ロシア有数の大学であるロシア国立人文大学入学のためモスクワに移住。大学の学生らとオルタナティブロックバンドProtivo Gunzを結成(このバンドは現在も彼のライブで演奏する)、大学の寮でフリースタイルラップのスキルを磨いた。2003年からはフリースタイルバトルやヒップホップコンテストで定期的に賞を獲得、有名ラッパーを破り名が知られるようになり、2006年にソロアーティストとしてヒップホップレーベルと契約。翌2007年に彼及びレーベルとユニバーサルミュージックのロシア部門との間に契約が締結され、アンダーグラウンドシーンと世界のメジャーが繋がるという、ロシアのヒップホップシーンにとっての大きな出来事となった。同時に彼は世界各国から3000名のロシア語ラッパーが参加した、Hip-Hop.ru主催のヒップホップバトルで優勝する。そのバトルの様子がビデオクリップとして録画され、音楽メディアでヘヴィーローテーションされる。早々に映画主演もしたり、デビューアルバムのリリース以降、キャリアは非常に順調であった。
彼の曲は元々ギタリストであった事からもロック寄りであり、ライブの時もラップしながらギターを弾いている。NAIVやTarakany!といったロシアンパンクレジェンドとも共演している。上↑の曲は「ロシアンパンクの父」イゴール・レトフ追悼の曲でもあり、レトフの曲からタイトルを借りてサンプリングもしている。

2010年2月、モスクワのレニンスキー通りでルクオイル(ロシア最大の多国籍エネルギー企業)副社長のアナトリー・バルコフの車(メルセデス・ベンツ)がシトロエンと衝突し、シトロエンに乗っていた女性二人が死亡するという事故が起きた。目撃者はバルコフ氏が渋滞を避けるために間違った車線にいたと主張したが、当局はシトロエン側の責任だと主張した。シトロエンに乗っていた女性はNoize MCの友人の妹だった。その24時間以内に彼はバルコフの不処罰に抗議して「Mercedes S666」という曲を書き、この曲のMVはネットで非常に人気となった。この事件をきっかけに、彼は政治的な姿勢を打ち出していく。2014年のクリミア併合後、8月のウクライナ公演でウクライナ国旗を掲げた事により、ロシアに帰国すると彼のライブは当局からの圧力で頻繁にキャンセルされるようになった。この様子が映っているドキュメンタリーがあるので是非見てほしい。

↑2015年公開のVICE NEWSによるドキュメンタリー「新たな冷戦時代へ プーチン政権プロパガンダの実状(1)」の前半に、Noize MCが出ている。当局によってライブがキャンセルされる様子が生々しく映っている。VICE JAPANのチャンネルなので日本語字幕がある。ロシア政府によるメディアの完全掌握を2015年の時点で既に伝えており、プロパガンダ漬けのロシア社会の雰囲気がよく伝わってくる。後編(Noize MCは出ないが)もあるので必見!↓ これを見ると、2022年のウクライナ侵攻は当然の成り行きだったのだと思える。「西側が攻めてくる」という妄想を国民に絶え間なく植え付け、集団被害妄想に陥っているように見える。

当然Noize MCはウクライナ侵攻に抗議したので、政府のブラックリストに入れられ現在はロシアを出て家族とリトアニアに移住している。彼は頻繁にウクライナ支援のチャリティコンサートを開催している。
Apple Music spotify

Oxxxymiron

OxxxymironことMiron Yanovich Fyodorovは1985年生まれのロシアで最も影響力のあるラッパーの一人である。また彼はラップバトルがYouTubeで最も視聴されているラッパーの一人でもある。
サンクトペテルブルク出身(当時はレニングラード)で父親はユダヤ系の核物理研究所の物理学者であった。9歳の時に家族でドイツのエッセンに移住。13歳からラップの歌詞を書き始める。15歳で家族でイギリスに移住し、オックスフォード大学の英語学部に入学する(ロシアの社会派ラッパーは、彼にしろ上記のNoize MCにしろ、モスクワ大学にロシア語100点で入学したHuskyにしろ、高学歴者が多いですね)。在学中に双極性障害と診断され一時休学するが、2008年に無事卒業。ロンドンのイーストエンドに拠点を移すが、「資格過剰(高学歴過ぎてその組織に貢献しないと判断される事)」のせいで職に就くことができず、レジ係や通訳、ガイド、家庭教師などの雑多な仕事でしのいでいた。
しかし現地のロシア人コミュニティが彼をヒップホップに連れ戻し、Oxxxymiron名義で音楽活動を再開した。2008年最初のミュージックビデオ「I'm a Hater ( Я xeйтep )」を公開。2009年にHip-Hop.ruのインディペンデントバトルに参加し、準決勝に進出。これで名前が知られ始める(以後彼のバトルは注目を集め続ける)。2015年には彼の音楽キャリアを再開する前のロンドンでの生活を基にしたクライムコメディテレビシリーズ「ロンドングラード」が放送され、彼のMVがそのティーザーとして公開される。また2ndアルバム「Горгород(ゴルゴロド)」は2015年のロシアで最も人気のアルバムとなった。2021年には映画「エンパイアV」で主演し、ティーザーが流された。2022年3月公開の予定だったが公開されなかった。彼がアレクセイ・ナワリヌイを支持する抗議運動に参加したりといった反政府的な姿勢のせいだと噂されたらしい。また2021年にはキリル・セレブレニコフ監督の映画「チャイコフスキーの妻」で作曲家ニコライ・ルビンシュタインを演じた。
2022年のウクライナ侵攻では全面的に反対の姿勢を見せ、反戦運動を呼び掛けた。「戦争に反対するロシア人」と題した一連の慈善コンサートを外国で開催し、その収益はウクライナ難民支援のNGOに寄付すると発表した。イスタンブール、ロンドン、ベルリンで開催され、9月にロシアに戻ると政府は彼を「外国の代理人」リストに加えた。2023年はワールドツアーを行っている。
Apple Music spotify

Basta(Баста)

BastaことVasily Mikhailovich Vakulenkoは1980年ロストフ・ナ・ドヌー生まれ。この「ラッパー」の項の冒頭で書いた、ロストフシーンを代表するラップグループKastaがPsycholyricと名乗っていた頃のメンバーであった。Basta名義以外にもNoggano、N1NT3ND0 (Nintendo)等でも知られる。
18歳くらいからロストフのラップシーンに積極的に関わってきたが、次第によりメロディックで叙情的な方向にシフトしていき、数年間大きな会場から姿を消す。その間友人の助けを借りて自宅で音源を録音し、チャンスを求めてモスクワに拠点を移す。デモディスクがBogdan Titomirの手に渡り、彼の主催するGazgolder(閉鎖されたクラブを拠点にするクリエイティブ集団)に招かれる。2006年にGazgolderのレーベルが誕生し、TitomirプロデュースでBastaの1stアルバムがリリースされる。2007年にBastaはレーベルの共同所有者となる。以降彼はMTV Russiaの賞を受賞したり、Timeout誌の「今年のロシアアーティストベスト15」に入ったり、iTunesでのロシアンヒップホップの最も成功した作品になったり、交響楽団をバックにモスクワのオリンピックスタジアムで演奏したりと、王道を突き進む。Gazgolderもヒップホップレーベルとしてたくさんの人気ラッパーを抱え大成功する。他にも映画製作・レストラン・ナイトクラブ・ジュエリー会社経営をしたりで、フォーブズ誌は2016年のBastaの収入を180万ドルと推計し、ロシアのトップセレブランキングの17位にカウントした。また彼は2019年にサッカークラブのFC SKAロストフ・ナ・ドヌーのオーナーに就任する。

2014年のロシアによるクリミア併合後にクリミアで演奏を行ったため、2017年にBastaはウクライナ政府から3年間のウクライナ入国禁止処分を受ける。また2022年のロシアによるウクライナ侵攻を支持したため、2023年1月にウクライナ政府は彼に制裁を科した。要するに彼は親プーチンミュージシャンである。
彼の曲は上記のNoize MCやOxxxymironのように社会の不正を糾弾するようなヒリヒリした感じはなく、メロウな曲調で家族愛を歌っていたりと(歌詞を検索して翻訳にかけた限りでは)、わりと「毒にも薬にもならない(すいません個人の感想です)」ようなものが多いように見受けられる。日本のマイルドヤンキー系レゲエやラップがやたら「親に感謝、地元最高」みたいな事を歌ってるのと似たような傾向か。こういうタイプは政府からの受けもいいだろう。今現在のサブスクの「ロシアTOP100」みたいなリストを見ても彼の曲は多数入っているし、めちゃめちゃ儲かっているものと思われる。その結果オリガルヒみたいにサッカークラブまで持っている。
もう一人こういうタイプのめっちゃ儲けてるラッパーを見付けたのだが、それは別記事で書こうと思っている。Bastaよりも遥かにエグいやり方をしている。ロシアの有名ミュージシャンのウクライナ侵攻に対する態度を賛成派と反対派に分けて書くつもりである。そうやって整理すると、ロシアの芸能界の雰囲気もなんとなく伝わってくるかなぁと。
Apple Music spotify

上記3人はソ連時代の80年代生まれだが、以下はソ連崩壊後に生まれた世代を紹介する。

Face

FACEことIvan Timofeyevich Dryominは1997年ウファ生まれ。トラップ/クラウドラップのラッパーである。子供の頃から音楽好きだったが、幼い頃に両親が離婚、母親は統合失調症だった。10代の頃はストリートギャングのような生活をしていて、アパートでマリファナやハシシを栽培・販売して生計を立てていた。警察に逮捕された後祖母と暮らし始め、フーリガン生活からは足を洗った。2015年にPharaoh(後述)のコンサートに行った事がラップを始めるきっかけになった。
2015年、祖母のお金で最初の曲をレコーディングし、10月に初のミニアルバムをリリース。これに収録されている「Гоша Рубчинский(ゴーシャ・ラブチンスキー 「ポストソビエト」的な世界観で世界中で注目を集めたモスクワ出身のファッションデザイナー。コムデギャルソンやアディダスなどとコラボ)」で注目を集めた。若者の間で広く知られるようになったのは2017年の1stアルバム「Hate Love」リリース後である。冒涜的で露骨な性表現もありながら、風刺とユーモアのあるリリックとビデオクリップで支持を広げたが、その物議を醸す内容故にロシアの保守的な法執行機関が彼のコンサートを中止する事態につながった。↑の「БУРГЕР(Burger)」でFACEは「サンクトペテルブルクのグッチの店に行く途中で/彼女は俺のアレをハンバーガーのように貪る」と歌っている。

この検閲に応えて、2018年には一転して政治色の強いアルバム「Пути неисповедимы (Mysterious Ways)」をリリースし、ロシアの汚職と社会問題を批判した(このアルバムのリリース前日にそれまでの特徴的なボブヘアを剃る動画を公開し、古いイメージを捨て去った。当時21歳)。↑の2019年公開の「ЮМОРИСТ(ユーモリスト)」ではスタンダップ・コメディアンに扮した彼が検閲や投獄だらけのロシア社会について歌い、ウクライナ侵攻後にその予言めいた内容が再度評価された。
プーチンの広報担当者は彼にクレムリン向けの政府寄りのコンテンツを制作してほしいというオファーをしていたが、彼は断った。2021年、コンサート主催者への政府からの脅迫によりロシア各都市での公演が中止になった。彼はそれまでにアレクセイ・ナワリヌイを支持する発言をしており、抗議運動にも参加していた。2022年のロシアによるウクライナ侵攻の結果、3月に彼はロシアを離れ、戻るつもりはないとInstagramに投稿した。4月、法務省は彼を「外国の代理人」に指定した。
Apple Music spotify

MORGENSHTERN

MORGENSHTERNは現時点のロシアで一番勢いがあり人気のあるラッパーだろう。ロシアのラッパーは特に近年は政治的な姿勢の強い、言わば「真面目な」ラッパーが多い印象で、アメリカのギャングスタラップのような「金と女と高級車でヒャッハー!」みたいなタイプが少ないような気もする。上記のFACEも最初の頃は比較的そういうスタイルだったが(とは言え独特の皮肉が利いていたが)、やはり政治的な内容に変わった。しかしご安心ください、MORGENSHTERNはそういうステレオタイプなイメージ盛りだくさんのビデオを作っている。上↑の人気ラッパーのエルジェイとのコラボ曲はタイトルからして「キャデラック」だ。
MORGENSHTERNことAlisher Tagirovich Morgenshternは1998年ウファ生まれ。同郷のFACEのビデオクリップで協力している。母親はロシア系ユダヤ人、父親はパシキール人(テュルク系の少数民族)である。母親が地元のフラワービジネスで成功していたので苦労はしていないようだ。学生時代からラップをやっていて、ストリートミュージシャンとして活動していた。MMD Crewというロックバンドもやっていた。大学は問題行動(トイレで「不適切」な動画を撮った)ですぐに退学になった。堅実な人生設計が断たれたので、二度と堅気に戻れないように顔に「666」のタトゥーを入れる。
2017年から始めたYouTube番組「#EasyRap」の一連の有名ラッパーのパロディ動画で初めて人気を得た(スタートはYouTuberだったのだ)。2018年からはオリジナル楽曲を公開する。同年にデビューミニアルバム「Hate Me」をリリース。その後公開するビデオクリップは次々と人気となり、アルバムもVKで最も人気の作品となり、着実に人気ラッパーとなっていった。2021年、SpotifyはMORGENSHTERNをロシアで最も聴かれているアーティストに挙げた。現時点での彼のYouTubeチャンネルの登録者数は1180万人である。

MORGENSHTERNはお騒がせラッパーであり、常に社会の論争の的であった。初期は炎上商法的な事をしていたし、享楽的で不道徳なキャラクターを自ら作り上げて演じ切っていた。その甲斐あって2020年までには彼はロシアでも類を見ない、キャラ立ちまくりのスーパースターになっていた。しかし順調そのものだった彼のキャリアで初めての危機が訪れた。2021年のインタビュー動画で、彼はロシア政府は戦勝記念日のパレードに金を使い過ぎており、なぜロシアが未だにナチス・ドイツに対する勝利を祝っているのか理解できないと話した。これがロシアの退役軍人の怒りを買い、退役軍人組織はMORGENSHTERNが「第二次世界大戦で戦って亡くなった人々の歴史的記憶を侮辱した」との声明を出した。この大炎上でMORGENSHTERNはインスタグラムでロシア退役軍人に異例の謝罪をし関係回復に努めたが、完全に体制側を敵に回してしまった。政府は彼が過去にインスタグラムで麻薬を宣伝したとの疑いで捜査を開始すると発表。危険を察知した彼は直ちに予定されていた国内ツアーをキャンセルし、ロシアを出てドバイに拠点を移した。

MORGENSHTERNは政治的な事はあまり歌わないラッパーだった。YouTuber時代の「#EasyRap」では政治的なラッパーを嘲笑していた。しかし2022年3月に公開した「12」のビデオクリップはそれまでの彼の作風とは一線を画す。これは彼の弟の12歳の誕生日を記念した曲で、曲調は一転してダークで抑制のきいた雰囲気だ。真っ黄色のベントレーに乗ったMORGENSHTERNのところに女性と息子が助けを求めに来る。が、彼女は後ろから銃を突き付けられ画面に血しぶきが散る。怒った群衆が車を取り囲む。曲が終わると女性の声が流れる。「親愛なる息子、ここでは朝に屋根が吹き飛ばされそうになりました。今、私たちは地下室にいて、防空壕に入る準備をしています。」これはMORGENSHTERNの長年のウクライナ人コラボレーターの母親の声である。テロップが流れる。「彼はウクライナ人で、俺はロシア人だ。俺たちは一緒に音楽を作る。世界中のために。」「俺たちは平和が欲しい。友情が欲しい。」
遂に彼も明確な反戦ビデオをリリースしたのであった。ロシアのトリックスター、「恐るべき子供」も成長した。ロシア政府は彼を「外国の代理人」に指定した。
Apple Music spotify

Pharaoh

PharaohことGleb Gennadyevich Golubinは1996年モスクワ生まれ。2015年に彗星のようにロシアラップシーンに登場して、19歳でスーパースターになった。彼はその華奢な骨格や長めの金髪、中性的なルックスで上で挙げたようなラッパーとはかなり雰囲気が違う。ラッパーというよりもインディーロックバンドのヴォーカルといった風情だ。彼はロシアのクラウドラップ(スペーシーでフワフワとした霞のかかったような音が特徴で、エモラップとトラップとチルウェーブをミックスしたようなサウンド。恍惚感のある白昼夢的ヒップホップ)の先駆者だが、この音楽性もいわゆる一般的なヒップホップのマッチョ感がないので、一昔前だったらエモバンドを追っかけていたであろう層、要するに思春期ど真ん中のティーンの心を鷲掴みにした。先述のFACEもPharaohのライブを見てラッパーになろうと決心した。有名テニス選手の娘であるモデルとの交際がゴシップ欄を賑わせたりして、出てきたばかりの頃は他のラッパーからディスられたりアイドルラッパー扱いされたりしたようだ(後述の彼の富裕な父親や大学の事に対するやっかみもあるだろう)。デビューから時間が経った現在ではロシアにクラウドラップを定着させた功労者として確固とした地位を築いている。

そんな青白い顔をした細身の文化部系青年といった出で立ちの彼だが、意外な事に6歳から13歳まではロコモティフ、CSKA、ディナモというロシアサッカーの名門クラブのユースチームでプレイしていた(父親がディナモの元CEO)。しかし父親は息子がプロ選手としてやっていくには能力的に限界があると見て、他の道も提案した。選手をやめた後は審判をやっていたが、勉強も怠らずモスクワ大学のジャーナリズム学部に入学した(またもやモスクワ大学!文武両道ですな)。大学に入る前に半年ほどアメリカに留学し、その間現地のヒップホップシーンを肌で体験した事が音楽を始めるきっかけになった。
彼は当初Grindhouseのメンバーだったが、2013年からクリエイティブ集団Dead Dynastyのリーダーとなった。この集団にはラッパーやトラックメイカー、グラフィックデザイナー、タトゥーアーティストなどが所属する。また所属アーティストの音源をリリースするレーベルでもある。Dead Dynastyは Boulevard Depo(彼も現代ロシアを代表するラッパー)が主催するロシアの新しい世代のヒップホップ運動団体「YungRussia」に参加していた。

Pharaohの最初のレコーディングは2013年。注目され始めたのは2014年2月に「Ничего Не Изменилось(Nothing Has Changed)」のビデオが公開され、春にミックステープ「Wajet」をリリースしてからだった。2015年ミックステープ「Dolor」をリリースすると旋風が巻き起こった。シングル「Black Siemens」はYouTubeで1000万回以上の再生数を記録し、曲中のフックになる部分の「Skr-skr-skr(「スカー」というのはブルース・リーが技を繰り出す時に発した音だと本人が説明している)」という言葉はネットミームになった。

2017年のミックステープ「Pink Phloyd」、2018年の「Phuneral」も大ヒットし、後者はApple Musicのロシアチャートで1位になった。以後もアルバム/ミックステープはチャート上位常連である。なお彼のアルバムタイトルはPharaohの名前にちなんで常に「Ph」で始まる。モスクワ大学在学中にスーパースターになったが、2017年に卒業した。

彼の音楽的影響はRammsteinSnoop Doggからで、お気に入りのミュージシャンはKurt CobainMarilyn Manson、 Kid Cudi(アメリカのラッパー)だそうだ。彼はキャリアの初期はウィッチハウスをやっていたそうで、その要素は最初のビデオ「Ничего Не Изменилось(Nothing Has Changed)」からも窺える。

黒い衣装、墓場、不気味なサウンドと、要するにゴスっぽいのだ。Pharaohはヒップホップ界のゴスである。彼のアルバムのジャケットデザインもダークな靄に包まれたようなものが多く、ジャケだけ見たらゴスとかポストパンク系のアーティストのものだと思いそうだ。彼の歌詞は死や孤独、絶望、虚無などを扱ったものが多く、重苦しい曇り空や針葉樹林を背景にしたビデオはMORGENSTERNとは正反対のイメージだ。シャンパンボトルを持って女の子に囲まれていても、どことなく生気のない(ゾンビのような)演出である。彼のクルーの名前はDead Dynasty(死んだ王朝)であり、彼らをネクロマンサー、つまり死者の霊を呼び起こしたりする者としている。こういう所も金満見せびらかしの一般的なラップのイメージとは程遠く、ダークなインディーロックの雰囲気に近い。

ロックが若者のメインカルチャーでなくなり、クールだとされるのはヒップホップになったが、誰もが「金・女・高級車」の欲望丸出し陽キャ音楽に満足する訳ではないはずだとずっと思っていた。そこに出てきたのがヒップホップではあるがマッチョ感ゼロの陰鬱なPharaohである。10代の鬱屈とした嗜好にそりゃはまるわと、初めて彼を知った時に思った。近年の日本の場合はこういうものの受け皿はボカロ曲だろう。自分の世代で言えば、Nine Inch Nailsなどで吐き出すことができた感情だ。身も蓋もなく言えば「中二病」的な感情である。こういうタイプの音楽はどの時代でも絶対に必要とする層がいるのだ。

個人的にゴスが好きなので、ここで挙げたラッパーのうちで一番好みなのはやはりPharaohだ。ラップにあまり詳しくないのでアメリカにもこういうラッパーがいるのかどうか分からないが、ダークなキャラならGhostemainか。でも彼はもっとインダストリアルやブラックメタル寄りだ。クラウドラップにそういうのがいるのかも知れない。
今回この記事を書くにあたって、人生で一番ラップを聴いた。アブストラクト・ヒップホップのようなトラック主体のものはわりと聴くのだが、ラップはあまり知らなかった。ロシアなので特殊なのかも知れないが、意外とイケる気がした。特にクラウドラップは良さそうだ。
ウィッチハウスシーンから出てきたヒップホップ要素のあるダークな音楽という事で、IC3PEAKが好きならPharaohもいけると思う。
Apple Music spotify

 

ここで挙げたラッパーはどれも非常に人気のある、一般的に知名度の高い人ばかりであるが、ロシアの人気ラッパーは何らかの形でメジャーレーベルとの接点はありつつも、基本的にDIYで音源を作る人が多いようである。
プーチン政権は特に2018年を境にラップを弾圧してきたが、それがさらに若者のラップ熱を煽ったので、人気ラッパーを取り込もうとした。それが上記のFACEの項でも書いたようにクレムリン寄りのプロパガンダ曲を有償で依頼したり、ウクライナの占領地での公演、というようなものであるが、メジャーレーベルの言いなりではなくDIYで作っていれば彼のように拒否する事が出来る(政権には睨まれるが)。今はレーベルの宣伝に頼らなくてもYouTube等で収益が得られるので、Morgenshternのようにロシア国内でリリースしつつも外国に高飛びも出来る。しかしBastaのように協力する者もいる。
ロシア政府のラップ弾圧については↓の記事のHuskyの項で書いているのでこちらも是非読んでいただきたい。彼も現代ロシアを代表するラッパーで、弾圧のシンボルのような存在であるが、こちらの記事で書く方が適切だと思われたので別にした。またIC3PEAKのロシア国内での活動禁止もヒップホップアーティストととらえられて禁止されたようなニュアンスもあるので、その辺もこちらの記事でどうぞ。

russianindieguide.hatenablog.com

それと、ロシアのラッパーについての記事が雑誌「ゲンロン」に掲載されていたようだ。webでは全部ではないが一応読めるので是非どうぞ。このブログのようなアプローチで書かれている。

www.genron-alpha.com

また↓このRolling Stoneの記事も反プーチンラッパーについて書いているので参考にどうぞ。

www.rollingstone.com

この項はちょっとした「ロシアンヒップホップ入門」のようなものになったが、本当に氷山の一角でまだまだたくさんのアーティストがいる。興味を持ったらサブスクのプレイリストから掘ってみてほしい。

ポップ

Little Big

Little Bigは2013年にサンクトペテルブルクで結成されたレイヴ/ポップ/パンクその他諸々のハイブリッドグループである。とりあえず「ポップ」の項に入れたが、根本的にはパンクスピリットを持った面白風刺パフォーマンス集団である。Ilya Prusikinを中心に、映像ディレクターやDJなどで構成される。ロシアについてのステレオタイプ的なものやジョークが基本コンセプトになっており、これをごった煮サウンドでコミカルに表現している。ロシアネタを面白おかしくビデオにしているので、YouTube等ではロシア国内のみならず海外からのアクセスも非常に多い。歌詞は強いロシア訛りの英語がメイン。
2013年4月に最初のビデオ「Every Day I'm Drinking」を公開。

↑ゴプニク(ロシアのヤンキー。アディダスのジャージが大好き)やクマ(ロシア人にとって一番身近な動物で、シンボル的な存在。ロシアを皮肉るような内容のものにはよく出てくる)、銃、ウォッカなどロシア的なものがわんさか出てくる。このビデオを出発点に、面白い内容のものを作り続けている。
同年7月にDie Antwoord(南アフリカ出身のオルタナティブヒップホップグループ。当時世界的にセンセーションを巻き起こした)の前座に起用されたので、急遽曲を書き上げるという状態だったらしいが、これをきっかけにバンドとしての核ができた。翌2014年3月に1stアルバム「From Russia With Love」をリリース。ロシア国内とヨーロッパをツアーし、2015年12月に2ndアルバム「Funeral Rave」をリリース。これはロシアiTunesチャートで8位、Google Playでは5位にランクされる。
彼らの人気が爆発したのは2018年のビデオ「SKIBIDI」である(この項の最初に貼ったビデオ)。このビデオで見られる「SKIBIDI」ダンスが大流行し、「#skibidichallenge」のハッシュタグで一般人が踊る動画がSNSに氾濫した。このビデオは現在YouTubeで6.8億回も再生されている。
2020年にはユーロヴィジョンコンテストのロシア代表に選ばれたが、コロナ禍で大会が中止になる(オンラインで開催)。
2022年のロシアのウクライナ侵攻には反対し、反戦ビデオも公開した。同時に彼らは政府のブラックリストに載ったため、ロシアを出てロサンジェルスを拠点にしている事も発表した。ロシアを出たのはフロントのIlya PrusikinとSonya Tayurskayaとディレクター、サウンドプロデューサーの一人であることを明かした。Anton LissovとSergey Makarovは家族の理由でロシアに残った。Little Bigは2023年はUSツアーとヨーロッパツアーをやっているようだ。

今回記事を書くので改めて彼らのバイオを詳細に読んだが、AntonとSergeyが2000年頃に大ブレイクしたバンドJane Airのメンバーであることが分かって仰天した。シングル「Junk」が大ヒットしたラップメタルバンドで、ロシアのNu-Metal的なバンドの先駆者だ。

↑「SKIBIDI」のビデオを見直してみると、2:04辺りにAntonがいた!
Jane Airは2010年代になると煮詰まってきたようで活動を一時停止していて、この時(2013年)にAntonとSergeyが加入したらしい。AntonはJane Airではリードヴォーカルだが、Little Bigではサイドヴォーカルとギター、SergeyはJAではベースだがLBではDJ担当だ。ロシアに残ることになった彼らはJane Airの活動を再開した。いやぁ知らなかった。面白系の人達だったのね。そういえば去年急にInstagramでJane Airのライブ告知を見るようになったとは思っていたが。Jane Airについては、2000年前後のメインストリームシーンのオルタナティブバンドの記事を書きたいと思っているのでそこで詳しく書きたい。

Little BigはAntonとSergeyをバンドメンバーのリストから外したが、これは彼らがロシアに残るため、「外国の代理人」に指定されないようにとの配慮だろう。

話が反れたが、Little Bigのビデオはどれも面白くて次から次に見てしまう。エストニアのスターラッパーTommy Cash(東欧では非常に有名。タリンのロシア語話者地域出身)ともよくコラボしていて、Little Bigのチャンネルには彼とのコメディシリーズ「American Russians」(NYに移住したアホなロシア人二人がギャングスタラッパーになって一儲けしようとする顛末を描いたもの)というものもアップされている。
個人的にめちゃめちゃ面白かったのはこのビデオだ↓。金正恩がすごく似ている!


Apple Music spotify

ポップミュージックではLittle Big以外にはこれといったアーティストはあまりいないようだが、いわゆる歌謡曲的なポップスターも一応採り上げておこう。

Zivert

ZivertことYulia Dmitrievna Zivertは1990年モスクワ生まれ。歌手になる前は航空会社の客室乗務員だった。子供の頃から歌手になりたいと思い歌の勉強をしていたが、収入を得るために就職した。CAを選んだのは高収入である事と人々とのコミュニケーションが得意である事、事務仕事が苦手である事が理由だったらしい。しかしある時点でこの仕事は永遠に続ける事はできないと悟り、辛くなってきたのでかねてからの夢であった歌手を目指してみたらしい。
2017年に自分のYouTubeチャンネルで最初の曲を公開。2番目の曲がヒットする。同年にレコード会社と契約し、翌年デビューミニアルバムをリリース。2019年の「Life」が大ヒットする。↑のビデオは香港で撮影。同年1stアルバム「Vinyl#1」リリース。「Life」は2019年の最大のシングルヒットとなった。以降ロシアのいくつもの音楽賞を獲得。フォーブズ誌の有名人収入ランキングにも載っている。

Anna Asti

Anna Astiは1990年ウクライナ・チェルカースィ生まれ。歌手になる前は弁護士やメイクアップアーティストとして働いていた。2007年から曲を書き始め、2010年にプロデューサーとArtik & Astiというポップグループをキエフで結成する。曲が多少ヒットしたので2013年に拠点をモスクワに移す。2015年のデビューアルバムが大ヒットし、Yandexの年間最優秀アルバムに認定される。その後も大ヒット曲を出すが、Astiは2021年にグループからの脱退を表明。ソロとして活動を開始する。
2022年にユニバーサル・ロシアのアーティストになったが、ロシアのウクライナ侵攻における経済制裁でユニバーサルが閉鎖、後続レーベルからリリースする。6月にデビューアルバムリリース。12月、ソロキャリアで初めて音楽賞を受賞。

サブスクのRussia Top100などのプレイリストには彼女の曲が非常に多く入っているので相当売れている人だろう。↑のビデオも1.6億回再生されている。彼女はウクライナ人だが、ウクライナ侵攻後に出した、ソロキャリア最初のコラボ相手が重症の親プーチン歌手として有名なフィリップ・キルコロフ(「ロシアの美空ひばり」ことアーラ・プガチョワの前夫)である。当然ウクライナのメディアから「アンナ・アスティはプーチン政権に対する無言の支持を生み出している」と批判された。上記のZivertも親プーチン歌手とコラボしているので、ロシアの人気ポップシンガーは比較的政権寄り(というか政権に丸め込まれるのだろう)な人が多いのだろうと推測する。

Monetochka(Монеточка)

Monetochka(コインの意味)ことElizaveta Andreevna Gyrdymovaは1998年にエカテリンブルクで生まれたシンガーソングライターである。彼女の音楽はメインストリームポップではなくインディーポップなので本来ならば「新しい波」の記事の方で扱うべきなのかも知れないが、2018年に大ブレイクして知名度が非常に高いのでこちらにした。上記のZivertとAnna Astiが正直個人的にあんまりピンとこないので、もっとアーティスト性の高い女性シンガーを紹介したかったのもある。
2014年に地元の大学に入学した後、モスクワの全ロシア国立映画撮影学校の通信課程で学んだ。この学校を選んだのは彼女の古典映画への愛からだった。
2015年末、彼女は初めて自作の曲をMonetochka名義でVKに投稿し始めた。ほどなくして自分のYouTubeチャンネルにライブパフォーマンス動画を投稿し始める。2016年1月、12曲からなる1stアルバム「Психоделический клауд рэп(サイケデリッククラウドラップ)」をVKのコミュニティで公開した。すぐにこのアルバムはバイラル人気を得て音楽メディアからも注目される。Flow誌やAfisha誌の年間ベストにも選ばれた。

2017年6月、Noize MCとのコラボ曲「Чайлдфри(Childfree)」が公開される。しかしこの曲は「若者に自殺を奨励している」という事で当局の検査を受ける。
2018年5月、アルバム「Раскраски для взрослых(大人のための塗り絵)」をリリース。ロシアのiTunesApple Music、Google Playのチャートで1位となる。このアルバムからのシングル「Каждый раз(Every Time)」は大ヒットする(この項の最初に貼った動画はオフィシャルビデオではないが、彼女がまだ地元にいた頃に自分で作ったデモのようなものらしい)。テレビの有名番組にも出演して、一躍スターの座に躍り出た。

「Раскраски для взрослых(大人のための塗り絵)」はThe VillageやMeduza、Timeoutの「2010年代の主要アルバム」に選ばれている。
2022年のロシアのウクライナ侵攻ではNoize MCと共に非難する声明を出した。二人は「平和の声」と呼ばれるチャリティコンサートをヨーロッパ10か国で開催し、34万ユーロをウクライナ難民支援の慈善団体に寄付した。2023年1月、ロシア政府は彼女を「外国の代理人」リストに登録した。彼女は2022年に夫と共にリトアニアに移住し、同年8月に長女を出産した。

Monetochkaの音楽は特徴的なキュートな歌声とメロディ、洗練されたアレンジがとても魅力的だ。こういう音楽がしっかりとヒットするのはうれしい事である。
Apple Music spotify

その他

Russian Hard Bass

Russian Hard Bassというのはクラブミュージックの一つのジャンルであり、メインストリームの音楽では決してない。しかしこれはロシアのゴプニクカルチャーと密接につながっていて、ロシアらしさ満開なのでこのブログのどこかで紹介したいと思っていた。なのでおまけとしてここに書いておこう。
ロシアでは2000年代にレイヴシーンがとんでもないくらい盛り上がった。90年代イギリスのようであったらしい。以降ここから様々なエレクトロニックミュージックが発展していった。2010年代にウィッチハウスシーンがロシアで独自の発展を遂げたのもこの流れだろう。
Hard Bassの起源はオランダらしいが、2000年代にスラヴ圏で広まった。BPM160くらいの高速なテンポとミニマルなシンセサイザー、シンプルなヴォーカル、そして「ドンク」と呼ばれる金属的な音色が特徴である。強いキックで「ドンドンドンドン」とアガり、ゴプニクダンスで盛り上がる。
一番有名なのがロシアのXS Projectだ。とにかく見た方が早いので、典型的なMVを貼っていこう。

Hard Bassの歌詞は英語の場合が多い。合間に「Slav!」といったスラヴ民族の心を高揚させるような掛け声が入ったりする(ロシア民族主義が基本)。ビデオはゴプニクの日常がミーム的に出てくるので、「ゴプニクとはなんぞや?」との答えが詰まっている。撮影場所は殺伐とした空き地とか廃車置き場が多いが、ロシアンポストパンクのMVとは違ってコミカルな演出である。デカい車をワッサワッサバウンドさせたりとか、うんこ座りをしたりとか、ほぼ日本のヤンキーと似たようなものだろう。みんなアディダスのジャージを着ているのが特徴だが、女子(ゴプニツァ)もジャージなのが面白い。ラップのMVのようなセクシーな服装の女子はいない。なおロシアでアディダスが憧れのブランドなのは、1980年のモスクワオリンピックで、貧しくて調達できなかったソ連選手にアディダスがユニフォームを提供してくれたことに由来するらしい。彼らは安いウォッカをラッパ飲みしたり、ひまわりの種をボリボリ食べる。

Hard Bass自体の人気は既にピークを過ぎているが、こういったMVは海外でロシアンミームとして今でも人気である。
こうして見てみると、Little BigはHard Bassの流れにあるグループなのだと改めて気付かされる。彼らのビデオは洗練されたHBのビデオのようだ。




なお、この記事で採り上げるガチのメインストリームのアーティストを選ぶのに非常に役立った、フォーブズ誌のロシア有名人長者番付の記事を貼っておこう。経済制裁でフォーブズが撤退する2022年はないが、それ以前の数年間のランキングが見られる。

www.forbes.ru