Russian Indie Guide-ロシアのインディーロックガイド

ロシアのインディーロック、その知られざる素晴らしき世界

ソ連時代のロック

Kino

Kino(Soyuz.Ruより

*2023/09/07 Updated!
「Red Wave」の項に外部記事のリンクを追加しました。

ロシアの現代のインディーロックを一通り聴いてそのクオリティの高さに驚いた頃、当然「ではこれ以前の時代はどうだったのか?」という疑問を抱いた。そこからロシアの過去のロックについて調べ始め、ソ連時代の80年代に「ロック革命」があった事を初めて知ったのであった。そもそもソ連にロックがあった事など知らなかったので目から鱗の連続であった。
では、ソ連時代のロックについて記してみたいと思う。

70年代頃までの状況

ビートルマニアとバルド

ロシアでロックバンドが誕生したのは1960年代前半で、ビートルズに影響を受けたいわゆる「ビートルマニア」によるバンドがたくさん生まれた。共産主義政権では西側のロックは自由には聴けず、唯一の国営レーベル「メロディヤ(Melodiya)」からリリースされたもの(検閲を通ったもの)か密輸された音源に限られていた。闇では海賊盤が大量に出回っており、ビートルズはもちろん、ローリング・ストーンズ、ディープ・パープルなどの西側の人気バンドはソ連でも大変な人気があった。一説ではブラック・サバスのアルバムは数百万枚分の違法コピーが出回っていたらしい。
また、同時期に「バルド(бард、吟遊詩人の意味)」と呼ばれるフォークミュージックのシンガーソングライター達も多数誕生した。アコースティックギターでスポークンワードを歌う、ボブ・ディランのようなアメリカのフォーク系シンガーソングライターのロシア版である。

官製ポップスVIA

ソ連ではプロのミュージシャンとして活動するには「VIA(ВИА, Vokalno-instrumentalny ansambl=Vocal and Instrumental Ansemble)」と呼ばれる政府に認められたプロバンドに加入するしかなかった。 音源はメロディヤからしかリリースする方法がなく、自由に出す事は出来なかった。VIAは要するに官製ポップバンドなので、愛国的で健全な若者らしい、ラジオ向きの音楽しか認められなかった。自作の曲を演奏する事も許されなかった(曲は作曲家協会に所属する作曲家が作る)。しかしVIAのメンバーは皆国立の音楽学校で訓練を受けているのでものすごいテクニックを持っていた。「バカテク健全ポップミュージック」というのもキッチュな魅力がある。

↑代表的なVIAバンドのZemlyane(Земляне、地球人の意味)の80年代初頭のヒット曲。何となくTHE ALFEEの「星空のディスタンス」みたいである。奇しくも同年代なので当時の非英語圏ポップロックはどこもこんな感じになるのかもしれない。
こういうポップミュージックばかりではなく、ジャズ(ロシアのジャズシーンは現在に至るまで非常に活発である)やファンクのようなバンドも多数存在した。インストゥルメンタルの場合は検閲には引っかからないので、かなり変態的な(いい意味でですよ!)作品も存在した。

ロック先駆者、Mashina VremeniとAquarium

VIAのような政府の管理下にあるバンドなんかやりたくない、という場合は地下で活動するしかない。1970年代初頭にはアマチュアとして地下でライブ活動をして人気を得るバンドが現れ始めた。モスクワではMashina Vremeni(Машина времени、Time Machineの意味)、レニングラードではAquarium(Аквариум)が頭角を現した(彼らは現在も大ベテランとして現役)。ロックフェスティバルも開催されるようになった。録音スタジオはメロディヤ所有のものしかないので、この時代はライブを録音したものや宅録音源を録音したテープが地下で流通していた。この時代のバンドはアートロックやハードロック、プログレッシブロックにバルドの要素が入ったような音が多かった。

Mashina Vremeni(Машина времени)

Mashina Vremeniは1969年にモスクワで結成。現在も活動している最古のバンドの一つである。中心メンバーのAndrey Makarevichは唯一のオリジナルメンバーである。彼らの活動期間は長期に渡るが、ブルースロック、アートロック、プログレッシブロック、ロックンロールなどを演奏してきた。
Makarevichはソ連時代は共産党支配に批判的であり、ソ連崩壊後のエリツィンプーチン、メドベージェフ政権には概ね肯定的な態度を取っていた。政権に近い位置におり、2003年のポール・マッカートニーのモスクワ公演ではプーチンの隣の席に座っていたほどである。しかし2011年以降彼の政権への態度は批判的なものに変わり、2014年のクリミア侵攻では真っ先に声を上げた一人であった。2022年のウクライナ侵攻では政権を批判しイスラエルに移住。9月、彼は政府から「外国の代理人(要するにスパイ)」の登録簿に登記された。
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Aquqrium(Аквариум)

Aquqriumは1972年にレニングラードで結成。Mashina Vremeniと共に最も古い現役バンドの一つである。唯一のオリジナルメンバーBoris Grebenshchikovは通称「BG」と呼ばれ、ロシアの偉大なミュージシャンとしてカルト的な尊敬を集めている。彼らも活動期間が長いので演奏するジャンルは多岐に渡り、インディーロック、ブルースロック、フォークロック、サイケデリックロック、アートロック、ニューウェイヴ、エクスペリメンタルロックとほとんどのジャンルをやってるんじゃないかと思う程である。バンドは長い間地下にいたが、1987年にメロディヤから初の公式アルバムがリリースされると一気に知名度が上がった。88年にはモントリオールで初の海外公演を行っており、アメリカでもアルバムがリリースされた。91年に一度解散しているが、すぐに再結成し現在も活動中である。彼らの存在はロシアの文化に大きな影響を与え、歌詞はロシア文化のあらゆるものに引用されている。
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80年代のロック革命

80年代になると、パンクやニューウェイブNWOBHM(Iron Maiden等のイギリスの新世代メタルバンド)の影響を受けたバンドが次々と登場した。フォークロック系DDT(ДДТ)、ニューウェイヴ系のAlisa(Алиса)、ポストパンクのKino(Кино)、Nautilus Pompilius(Наутилус Помпилиус)、Piknik(Пикник)、Agata Kristi(Агата Кристи)、ロシアンメタルの祖Aria(Ария)、そして「ロシアンパンクの父」と呼ばれるイゴール・レトフのGrazhdanskaya Oborona(Гражданская оборона)といった新しいタイプのバンドが若者の熱狂的な支持を集めていった。現在狭義で「ロシアンロック」というとこの時代のバンドを指す事が多い。現役のバンドも数多く存在する。
ロシアのこの時代のバンドはパンクの影響下にあるものが多いが、西側のパンクムーブメントがプログレッシブロックやハードロックなどへのカウンターだった事に対し、ロシアではロック自体が社会のカウンター的存在だったので、ロックのジャンル間での対立はなく一緒に戦う仲間のような関係性だった。ここがロシアのロックの歴史において重要な点である。

「ロッククラブ」の設立

82年から84年のチェルネンコ政権では政府はロックを退廃的な音楽とみなし(チェルネンコは元KGB議長)、こうした地下のバンドは強く排除されていた。ロックの海賊盤やテープの売買は禁止されていて、警察に見つかると処罰されたので若者はまるでドラッグの売買のように隠れて音源のやり取りをしていた。観客から料金を取ってライブを開催するのは違法なので、ブッキングプロモーターも警察からにらまれていた。ライブはアパートの一室で行う事もあった(こうしたライブは「クヴァルティルニク」と呼ばれる)。DDTのユーリ・シェフチュクやGrazhdanskaya Oboronaのイゴール・レトフのようにKGBに捕まるミュージシャンも多かった。

しかしロックの勢いはとどまる所を知らず、政府もこれ以上取り締まるのはかえって反発を煽るだけだと悟り、公的にバンドがライブ活動ができる「ロッククラブ」を設立してロックを管理下に置こうとした。ロッククラブはモスクワ、レニングラード(現サンクトペテルブルク)、スヴェルドロフスク(現エカテリンブルク)に設立された(ヴォロネジ、ウラジオストックなどにも設立されたが規模は小さい)。これらの都市にはそれぞれ独自のロックシーンが存在した。

レニングラード・ロッククラブ」は1981年に設立され、コムソモール(共産党青年団)とKGBの監督下にあった。ソ連最初のロッククラブであり、最大規模のものだった。レニングラードソ連のロックシーンの中心であり、フィンランドに近い事もあって西側の音楽に触れるのも比較的容易だった。ロッククラブはアマチュアバンドのコンサートとフェスティバルを開催したが、バンドは「アマチュア」という事でギャラは支払われなかった。ロッククラブはライブ会場とレコーディングスタジオを備え、出演するにはバンドはオーディションを受ける必要があった。合格するとメンバーの資格を与えられて活動が可能になるが、事前に歌詞の提出等の検閲があった。しかしレニングラード・ロッククラブには比較的自由な空気があったようで、それほど厳しい検閲はなかったらしい(この辺の描写はキリル・セレブレニコフ監督のKinoの伝記映画「Leto」に出てくる)。これによってバンド同士の出会いや音楽についての議論の場が生まれ、ロシアのロック革命の原動力になった。
またレニングラード・ロッククラブにはセルゲイ・クリョーヒンが主催するPop-Mekhanika(Поп-механика)という音楽集団があり、ロッククラブメンバーのバンドから多数のミュージシャンが参加した。Kinoのヴィクトル・ツォイやGrazhdanskaya Oboronaのイゴール・レトフも参加している。セルゲイ・クリョーヒンはエクスペリメンタル・ジャズの作曲家・プレイヤーであり、「ロシアのフランク・ザッパ」と呼ばれた。そのためPop-Mekhanikaのパフォーマンスもジャズやロック、アヴァンギャルドのミックスであった。クリョーヒンは1996年に42歳で死去。彼の音楽にとどまらない多彩な活動に敬意を表して、サンクトペテルブルクでは毎年SKIF (Sergey Kuriokhin International Festival)という音楽祭が開催されている。

レニングラード・ロッククラブに倣って1985年にはモスクワにもロッククラブ「モスクワ・ロック・ラボラトリー」が、1986年にはスヴェルドロフスクに「スヴェルドロフスク・ロッククラブ」が設立され、人気バンドが数多く育っていった。

各ロッククラブのメンバーであった主なバンド
レニングラード Aquarium, Kino, Zoopark, Piknik, Alisa, Televizor, Pop-Mekhanika, N.E.P., Auktyon, DDT(ウファ出身), Grazhdanskaya Oborona(オムスク出身)
モスクワ Aria, Mashina Vremeni, Bravo, Tsentr, Zvuki Mu, Brigada S, Krematorij, Alyans, Chorny Obelisk, Korrozia Metalla
スヴェルドロフスク Nautilus Pompilius, Chaif, Agata Kristi

ペレストロイカ期の黄金時代

1985年にゴルバチョフ政権になると、「ペレストロイカ」と呼ばれる社会の自由化を進める政治改革が始まった。これによってロシアのロックバンドは公式にプロとして活動できることになった。全国の大きなコンサート会場で演奏することができ、メロディアからレコードも出せるようになった。また海外でレコーディングやツアーもできるようになった。「ロッククラブ」で活動していたバンド達はテレビやラジオ、映画にも出演してスターになり、ロシアで本格的な音楽産業が生まれる事になった。

「Red Wave」のアメリカでのリリース

1984年にたまたまレニングラードに旅行に行った若いアメリカ人ミュージシャンJoanna StingrayはAquariumのメンバーと知り合い、レニングラードアンダーグラウンドロックシーンに感銘を受けそのまま10年程住んでしまった(彼女は4年間KinoのギタリストのYuri Kasparyanと結婚していた)。彼女は1986年にアメリカのBig Time Recordsからコンピレーションアルバム「Red Wave: 4 Underground Bands from the Soviet Union」をリリース。2枚組のレコードのそれぞれの面にAquarium、Kino、Alisa、Strannye Igryの曲が収録され、アメリカで初めてリリースされたソ連のバンドによるレコードとなった。彼女はこのレコードをゴルバチョフ書記長とレーガン大統領に送り、政府が外交で成し遂げられなかった事をミュージシャン達は既に行っているとのメッセージを添えた。ソ連のバンドのレコードが外国でリリースされた事に驚いたゴルバチョフは、ロックバンドが国内で容易にリリースできるように文化大臣に指示した。

また彼女は2020年に当時の事を綴った本「Red Wave: An American in the Soviet Music Underground」を出版している。

*2022/09/07 Updated!
ジョアンナ・スティングレイがロシアにいた頃の思い出を語った最近の英語のインタビューを発見したので追加します。ロシアのエンターテイメント系情報サイトAfishaのロンドン版Afisha Londonにありました。ロンドンにはそれだけロシア人がたくさんいるという事なんだと思います。ワクワクする内容なので是非どうぞ!

afisha.london

Moscow Music Peace Festival

1989年にはモスクワで「Moscow Music Peace Festival」が開催された。Mötley Crüe、Ozzy OsbourneScorpionsBon JoviSkid Row、Cinderellaといった西側の超人気メタルバンドと、ソ連のGorky ParkとBrigada Sが共演するという冷戦の雪解けを象徴するようなフェスティバルとなり、10万人が参加しMTVなどを通じて世界59ヶ国で放送された。
またGorky ParkはBon Joviのマネージメントと契約し、1989年にアメリカのMercury Recordsからアルバムをリリース。MTVでもヘヴィーローテーションされ、ビルボードチャートにも登場した初のソ連のバンドとなった。

↑なぜか日本語字幕なので非常に分かりやすいです。とんでもない人数がひしめき合ってます。今の状況から考えると、こんな米露友好の時代があったのに本当に悲しくなります。

「ロシアンロック」第一章の終わり

90年代に入ると、怒涛の盛り上がりを見せたロシアンロックに転機が訪れた。90年8月、一番の人気バンドとなっていたKinoのシンガー、ヴィクトル・ツォイが交通事故で28歳の若さで亡くなってしまう。このためKinoは解散。そして1991年にはソビエト連邦が崩壊。この二つの大事件により、ロシアのロックシーンは変化せざるを得なかった。
80年代から活動していた人気バンドは、90年代も多くがそのままメインストリームの人気バンドとして活動を続けた。また「ロッククラブ」は次第にその役割を終えて閉鎖された。アンダーグラウンドのライブシーンは西側のスタイルのクラブ(要するに官営ではなく普通の営利目的の店)が誕生して受け継いだ。
90年代はまた新たな音楽シーンが生まれて、ロシアのロックシーンは成熟していくのである。

代表的バンド紹介

Kino(Кино)

80年代のソ連のロックの顔といえばKino(キノー、映画の意味)である。David BowieJoy Divisionなどイギリスの音楽に強い影響を受けた彼らは「ソ連The Cure」とも呼ばれた。シンガーのヴィクトル・ツォイは夭折した事もあって「ロシアのカート・コバーン」のような伝説の存在で、現在でもカリスマ的な人気を誇る。新旧に渡ってロシアで一番有名なバンドである。ツォイはカザフスタン出身の高麗族(朝鮮系)の父とロシア人の母から生まれた。初めてKinoを知った時、ロシアで今も昔も一番有名なバンドのフロントマンがアジア系という事に驚き、ロシアが多民族社会である事を実感した。当時の若者はツォイの髪型やファッションを真似る者が多かったそうだ。
彼らの暗さを持ったポストパンサウンドは2010年代のバンドに極めて大きな影響を与え、現在のロシアンポストパンクバンド大増殖の根源となっている。
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Alisa(Алиса)

Alisaは80年代はニューウェイブ的な音だったが、90年代以降はハードロック化したり、さらにはロシア正教に基づいたクリスチャンロックになったりと変化が激しい。中心メンバーのKonstantin Kinchevはロシアのロック界のご意見番のような立ち位置で、影響力のある存在である。現在も大ベテランとして活動中である。
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DDT(ДДТ)

DDTはここで紹介する中でも最も「ロシアっぽい」音のバンドなのではないだろうか。巻き舌の濁声で力強く歌うヴォーカルはクラシックなロシアのバンドによく見かけられるが、伝統的に好まれるスタイルなのかもしれない。日本人が長渕が好きなのと似たような現象か。シンガーのユーリ・シェフチュクはKGBとのバトルも経験し、現在では公然とプーチン政権を批判している反骨精神のあるバンドだ。超大御所として今も影響力のある存在である。来日したことがあるらしいが詳細は不明。シェフチュクはウクライナ侵攻を批判した事によってサンクトペテルブルクで起訴されている。
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Grazhdanskaya Oborona(Гражданская оборона)

ロシアンロックはモスクワやレニングラードなどで発展していったが、Grazhdanskaya Oborona(民間防衛の意味)はシベリアのオムスク出身である。シベリアには独自のパンクシーンがあり、次第に商業主義化していったモスクワやレニングラードのロックシーンとは一線を画していた。シンガーのイゴール・レトフは「ロシアンパンクの父」と呼ばれ、徹底したDIYベースでの活動を貫いていた。レトフは2008年に死去。彼らについて詳しくは「ロシアンパンク」の記事に書いているのでご参照を。現代もロシアの音楽に非常に影響を与えているバンドである。
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Piknik(Пикник)

Piknikはアートロック的なニューウェイブバンドであるが、ダークな歌詞や変わったサウンドから「ロシア最初のゴシックロックバンド」とみなされることも多い。↑この当時はメンバー皆テキトーな格好をしていて音もポップだが、後にビジュアルイメージも整え、一貫した世界観を演出している。現在も活動中。
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Nautilus Pompilius(Наутилус Помпилиус)

「ウラルロック」(スヴェルドロフスク、現エカテリンブルクウラル山脈付近)を代表するNautilus Pompilius(「オウム貝」の意味)はソ連崩壊後もビッグアーティストとして名をはせた。アートロック的ポストパンクで、彼らもゴシック風味がある。1997年リリースのアルバムのプロデューサーにイギリスのBill Nelsonを迎えたが、この年解散。その後何度か一時的に再結成している。また90年代ロシア最大のヒットとなった1997年のカルトムービー「Brother(Брат)」では彼らの音楽が全面的に使われている。
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Agata Kristi(Агата Кристи)

Agata Kristiは「アガサ・クリスティー」のロシア語表記である。彼らもNautilus Pompiliusと同じくスヴェルドロフスク出身。85年結成で、ソ連というよりも90年代ロシアで最も売れたバンドの一つであると同時に、ロシアで一番有名なゴシックロックバンドと言えるだろう。ロシアのロックで面白いのは、Kinoにしろ彼らにしろ、他国ではそれほどメジャーのど真ん中にはならないようなダークなジャンルをやっているのに、国を代表するようなバンドになっている事である。
Agata Kristiは2010年に解散。中心メンバーのGleb SamoylovはパンクバンドNAIVのドラマーDmitry KhakimovらとThe Matrixxを結成、現在も活動中。こんな感じの音らしい。軽めのRammsteinみたいな?
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Brigada S(Брига́да С)

モスクワのBrigada Sはこれらロシアンロック勢の中では非常に個性派の、ホーンセクション入りのファンク/ジャズ/レゲエロックのようなバンドである。彼ら曰く「プロレタリアン・ジャズオーケストラ」らしい。彼らも上記のMoscow Music Peace Festivalに出演したが、他のガチメタル勢とはかなり毛色が違うのでどうだったのだろう(ちなみに上で貼った動画には含まれていない模様)。彼らは93年に解散。その後VoのGarik SukachovはNeprikasayemyeを結成。映画監督・脚本家・俳優としても活動している。
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Aria(Ария)

モスクワのAriaはロシアンメタルの祖であり、現在も大御所メタルバンドとして活動中である。Scorpionsのようなタイプの音の(Scorpionsソ連でもものすごい人気があった)いわゆる古式ゆかしい「ヘヴィーメタル」である。こういう音は日本でも人気があるので、日本のメタルサイトでも言及している所が結構あった。
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Korrozia Metalla(Коррозия Металла)

モスクワのKorrozia Metallaはスラッシュメタルバンドである。ハードコアパンクの影響も受けているらしく、いわゆるCrossover Thrash的な存在だろう。モスクワにはAriaやGorky Park、他にもChorny Obeliskというメタルバンドもいるのでメタルシーンがあった事を窺わせる。これはレニングラードにはない現象である。
Korrozia Metallaは90年代になると中心メンバーSergey Troitskyが他のメンバー全員を解雇、歌詞やライブパフォーマンスもネオナチ要素の強いものに変わった。極右勢力をバックにモスクワ近郊の市長に立候補したこともあるらしい。2016年にはモンテネグロで放火の罪で服役。現代のロシアにはブラックメタルにネオナチバンドが結構いるようだが、そういう流れの大元なのかも知れない。
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Zvuki Mu(Зву́ки Му)

Zvuki Muはモスクワのエクスペリメンタル系ポストパンクバンド。↑この動画を見てもよく分かるが、エキセントリックなパフォーマンスで知られているようだ。なんとなくTalking Headsデヴィッド・バーンを思わせる。ブライアン・イーノのプロデュースでアルバムを出している(イギリスでもリリースされている)。バンドは解散したりまた再開したりが何度かあったようだが、とりあえず2021年で今のところは活動をやめている模様。ロシアの前衛的なバンドの祖のようにとらえられており、現代でも大きな影響を与えている。
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Gorky Park(Парк Горького)

Gorky Park(ゴーリキー・パーク)は元Ariaのメンバーも含むモスクワのメタルバンドである。バンドの始まりはSex Pistolsとマルコム・マクラレンの関係のように、70年代の有名ミュージシャンであったStas Namin(Moscow Music Peace Festivalの主催者の一人)がマネージャーとしてメンバーを集めた事によるらしい。ペレストロイカでバンドが海外に行けるようになると、彼らはアメリカにレコード契約を取りに向かった。フランク・ザッパが最初に興味を示し、Bon Joviジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラの紹介でMercury Recordsとの契約を獲得した。上でも書いたようにこれによって彼らはアメリカのメジャーレーベルからアルバムをリリースし、MTVでビデオが流れ、ビルボードにもチャートインした。日本でもリリースされたので名前は知られていた。
↑のビデオでを見ても分かるように、彼らはグラムメタル、いわゆる「ヘアメタル」である。アメリカでも快楽主義的・享楽的に見られていた(がものすごく人気があった)こんな最も資本主義的な音楽を、ソビエト国旗とアメリカ国旗の前でフワフワした髪型のロシア人が英語で歌っているのである。このような「雪解け」の空気は今となってはほろ苦い思い出となってしまった。
他のソ連のバンドの音はやはりどこか垢抜けない所もあるが、彼らの音はいかにもアメリカでブラッシュアップされた感じである。メジャーど真ん中を狙った感バリバリである。
ペレストロイカが終焉を迎えるとアメリカでの彼らの人気も急降下したが、その後はロシア国内で活動した。これは彼らがロシア人だからというよりも、90年代に入って世界の音楽シーンの風向きが変わり、メタルに逆風が吹いたためだろう。解散宣言はしていないものの、2001年以降は活動がなかった。しかしその後ちょいちょい再結成し、2022年にはStas Namin(彼はロシアエンタメ界の大物となっている)が新しいバンドメンバーに入れ替えてこのバンドを再始動させたらしい。
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・・・というように、「ロシアンロック」と言っても様々なタイプのバンドがいた。貼った動画は出来る限りソ連時代のものを選んでいるので多少の「ダサさ」はあるかも知れないが、当時の空気を感じてほしいという意図からである。ヴィクトルが亡くなって解散してしまったKino以外はソ連崩壊後も活動を続けているので、より洗練された音・ビジュアルになっているはずである。是非検索してみてほしい。

2010年代にロシアのインディーシーンで「新しいロシアの波」と呼ばれる革命的な動きがあり、これらのソ連を知らない世代の若いバンド達は口々にここで挙げたようなソ連のバンドからの影響を公言している。特にKinoとGrazhdanskaya Oborona、Zvuki Muは神聖視されているかのようだ。ポストパンク系のバンドが多いにもかかわらずAlisaやAgata Kristiの名があまり挙がらないのは、これらのバンドの中心メンバーがプーチン支持だからかも知れない。Ariaのメンバーもプーチン支持を公言している。反骨精神を持ち続ける人もいれば、老害化する者もいるようである。
「新しいロシアの波」についてはこちらの記事を参照↓

またここで挙げたのはメインストリームで売れたビッグネーム、90年代も商業ベースに乗れたバンドを選んでいる(解散したKinoやGrazhdanskaya oborona、セルゲイ・クリョーヒンは除く)。よりアーティスティックで、地下での活動を続けたバンドも当然いる。そういったニューウェイブ系を中心としたバンドの記事も書いたので、こちらでどうぞ↓ 圧倒的にこっちの方が熱量が高いです(笑)。

この記事で紹介したのは本当に代表的なバンドのみなので、↓のプレイリストでより多くのバンドを聴いてみてほしい。