Russian Indie Guide-ロシアのインディーロックガイド

ロシアのインディーロック、その知られざる素晴らしき世界

ソ連崩壊後のロシアのメジャーシーン(1990~2000年代前半)

Mumiy Troll

Mumiy Troll(LiveJournalより)

1991年にソビエト連邦が崩壊すると、鉄のカーテンもなくなったのでリアルタイムで世界の音楽とロシアの音楽シーンはリンクするようになった。
90年代になると、80年代に非公式にリリースされていたアルバムが数多く再リリースされた。Alisa、Nautilus Pompilius、Agata Kristi、Piknik等のソ連時代の人気バンドのベスト盤も相次いでリリースされた。彼らは90年代もロシアのビッグアーティストとして活躍したが、80年代のアンダーグラウンド的なエッジは失いメインストリームのバンドとなった。
またロックに特化したテレビ局やラジオ局も登場し、Nashe Radio(Наше радио、Our Radioの意味。1998年開局)のようにロックフェスティバル(Nashestvie/Нашествие、Invasionの意味。ロシアのメインストリームのバンドが出るロシア最大のロックフェス。これに出るとバンドの格が上がる)を主宰するなどマスメディアの影響力が強まった。Nashe Radioのチャートはバンドの評価に強く影響した。1998年にはMTV Russiaも開局。SonyやUniversal等の西側のメジャーレーベルもロシアに進出した。80年代に誕生した「音楽ビジネス」が形を整え、定着したのがこの時代だ。
グランジやパンク、ブリットポップなどの海外の音楽トレンドに呼応したロシアのバンドも登場し、メインストリームを席巻した。


90年代前半はロシアで本格的なパンクシーンが生まれ、Korol i Shut(Король и Шут)のようにメジャーシーンでも活躍するバンドも登場したが、パンクバンドについてはこちらの別記事でまとめたのでどうぞ。

russianindieguide.hatenablog.com

また2000年代初頭にはアメリカで言うところのいわゆる「Nu-Metal」的なオルタナティブロックバンドが多数登場したが、これも別記事で書く予定。
ここでは90年代以降にデビューし、メインストリームで活躍した代表的なバンドを紹介する。このブログはインディーロックに焦点を当てているが、メジャーシーンが分からなければインディーシーンも分からないからである。

Mumiy Troll(Мумий Тролль)

Mumiy Troll(ムミー・トローリ)は極東ウラジオストック出身で、90年代ロシアを代表するバンドであり、現在も国民的な存在である。「ロシアのミスチル」的な存在だろうか。バンド名はトーベ・ヤンソン作の「ムーミントロール」に由来する。バンドの結成は1983年と意外と古い。中心メンバーのイリヤ・ラグテンコがソ連末期に徴兵され、また大学の東洋学部卒で中国語と英語が話せたので90年代前半は中国とロンドンで商業顧問として働いていたため、バンド活動は休止していた。音楽活動を再開するとすぐに頭角を現し、’97年リリースの(公式上の)1stアルバム「Morskaya」(Морская)からのシングル「ウラジオストック2000」は開局したばかりのMTVでもパワープレイされ大ヒット(↑このMV)。以降ロシアのロックシーンで大きな存在となっている。海外ツアーも頻繁に行っている。
彼らの音楽はブリットポップを移植したものととらえられていたようで、ラグテンコは自分たちの音楽を「ロカポップス」と呼んでいたらしい。ソフトで聴きやすいポップロックである。
ラグテンコはウラジオストックで育った事もあり、日本とは何かと縁がある。子供の頃は日本から弱い電波で流れてくるラジオ放送で日本の音楽を聴いていたらしい。

forbesjapan.comウラジオストック2000」が大ヒットするとほぼ同時期にNHKの「ロシア語講座」でも紹介され、1998年にNHKの招待で来日し函館のロックフェスティバルに出演(2001年も函館で演奏)。2016年にはなんと「VISUAL JAPAN SUMMIT」にも出演している(ラグテンコはヴィジュアル系が好きらしい)。そして2017年に初めての日本での単独公演が渋谷クラブクアトロで実現した。日本在住のロシア人が大挙して駆けつけたらしくソールドアウトだった模様。
ウラジオストックには彼の経営するロッククラブ「Mumiy Troll Bar」があり観光名所になっている。またウラジオストックで彼が主催するロックフェス「V-ROX」にはラブ・サイケデリコ等の日本のバンドも招かれているらしい。
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Bi-2(Би-2)

Bi-2はベラルーシ出身のデュオ中心のオルタナティブロックバンドである。1988年結成でソ連時代から活動していたが、ソ連崩壊後のベラルーシではあまり活動の場がなかったためイスラエルに拠点を移し市民権も得る(ソ連崩壊後、旧ソ連諸国の多数のユダヤ人がイスラエルに移住した)。その後メンバーのShuraが親戚を頼ってオーストラリアに移住して活動するも、イスラエルに留まっていたLyovaとはインターネットを介し曲の共作を続けていた。オーストラリアで作ったアルバムをロシアに送った所ラジオで人気となり、1999年に彼らはロシアに転居した。
彼らの曲「Полковнику никто не пишет(No one writes to the colonel)」が90年代ロシアの大ヒット映画「Brother」の続編「Brother-2」(2000)のサントラに使われ(↑のMV。彼らは映画にもこの演奏シーンで登場している)、一躍ロシア中にその名前を知られる事となった。なお、このサントラは他にZemfira、Agata Kristiなどこの当時の人気バンドが多数収録されていてヒットしている。彼らはSony Music Entertainment Russiaと契約しアルバムも40万枚を売り上げ、以後大人気バンドとして現在に至る。
彼らはJoy DivisionThe Cure、Sisters of Mercyといったイギリスのポストパンク/ゴスと、ロシアのAgata Kristiなどから影響を受けているとの事で、スラブ的な哀愁を帯びたメロディのオルタナティブロックである。ベラルーシ出身の大先輩という事で、Molchat Domaともコラボレーションしている。なお彼らはウクライナ侵攻に抗議しているため、ロシア政府のブラックリスト入りをしている。
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Splean(Сплин)

Spleanは1994年にサンクトペテルブルクで結成されたオルタナティブロックバンドである。Сплинとは「脾臓」の意味で、革命前のロシア知識人の間では「憧れ」「憂鬱」「退屈」といった意味で使われていたらしい。脾臓の英語表記はspleenだが、Beatlesに倣ってSpleanという綴りにした。
彼らは劇場スタッフとして働いていたが、劇場内のスタジオでこっそりと1stアルバム「Пыльная быль(Dusty Fact)」を録音。このアルバムのカセットテープがサンクトペテルブルクのラジオ局で人気となり、後に複数のレーベルからCDリリースされた。AquqriumやAlisaのメンバーらが彼らを支持した事もあって人気が拡大し、1998年の4枚目のアルバム「Гранатовый альбом(Pomegranate Album)」でその人気は決定的なものとなった。その後何度かのメンバーチェンジをしながら、現在に至るまでロシアのトップバンドの一つとして活動を続けている。
彼らの音はあまり癖のない、広く受け入れられるようなタイプのオルタナティブロックだろう。「ザ・メインストリーム・ロック」という感じだ。彼らもウクライナ侵攻に反対したためブラックリスト入りしている。
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Zemfira(Земфира)

ZemfiraことZemfira Talgatovna Ramazanovaはポストソビエトロシアを代表するロックディーバである。ややニュアンスは違うが「ロシアの安室奈美恵」とも言えるほど人気がある。出身はウファ。ウファ芸術大学を卒業後、ウファのラジオ局でサウンドエンジニアとして働き、ジングルなどを制作していた。その合間に作ったデモテープをモスクワの音楽関係者に送った所、Mumiy Trollのイリヤ・ラグテンコの目に留まり、モスクワに招待されアルバムをレコーディングした。
デビューアルバム「Zemfira」は1999年にリリースされ、大きな人気を博した。大型新人として複数の音楽賞も受賞。翌2000年にリリースされた2ndアルバム「Прости Меня Моя Любовь(Forgive Me My Love)」はこの年に最も売れたアルバムとなった。あまりの人気のためヤクーツクでのコンサートで負傷者が出てしまい、彼女はこれによる影響でしばらくステージから離れていた。しかしその後リリースしたアルバムも大ヒットを続け、スーパースターの座を確固たるものとした。と同時にチャリティ活動も活発に行ってきた。
2014年のロシアのクリミア併合には反対の立場を取り、メディアからの批判を受けた。2022年のウクライナ侵攻では全面的に戦争反対を表明し、「ロシアでの公演が望ましくないと見なされた音楽演奏家のリスト」に加えられた。2023年2月10日、ロシア司法省は彼女を「外国の代理人(要するにスパイ)」リストに加えた。
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おまけ:t.A.T.u.

30代以上の人なら「ロシアのアーティスト」と言えばまず思い浮かぶのはt.A.T.u.(タトゥー)だろう。2003年に「ミュージックステーション」の冒頭に出演するも、出番が来ても登場せず、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが再度演奏してその場を救ったという「Mステドタキャン事件」は日本ではあまりにも有名だ。私自身もリアルタイムでこの放送を見ていたので強烈に覚えている。
t.A.T.u.は1998年にモスクワで結成される。プロデューサーによるオーディションで選ばれたリェーナ・カーチナとユーリャ・ボルコワによるアイドルデュオである。「レズビアンの美少女カップル」という過激な「設定」で売り出され(本当は違ったらしい)、2000年頃から東欧のヒットチャートを駆け上っていった。2002年にはイギリスのプロデューサー、トレヴァー・ホーン(Baggles, Yes, The Art of Noiseなど)が編曲を手掛けた「Я сошла с ума」の英語版「All the Things She Said」が世界中のMTVでパワープレイされ大ヒット。この頃が彼女達の人気のピークであった。そして翌2003年6月に「Mステ事件」が起き(これはプロデューサーによる話題作りのためだったらしいが完全に失敗。日本人は「日本を馬鹿にしたような態度」を取る外国人にはめちゃめちゃ厳しいもんね)、同年12月の二日間の東京ドーム公演はガラガラ。日本での人気は急降下したが、途中ユーリャの出産と解散・再結成を挟み2014年までは活動していた。
彼女達のスキャンダラスなあれこれはすべてプロデューサーによる策略で、本人達はレズビアン設定にも抵抗があったそうだが、売れるためには仕方ない、という事だろう。しかしこのプロデューサーのせいで彼女達もスタッフもギクシャクしていて大変だったようだ。それはさておき「All the Things She Said」や「Not Gonna Get Us」といったヒット曲はどれもいい曲だし(個人的にトレヴァー・ホーンの音作りが好きなのもあるが)、彼女達の美しい歌声も魅力的だ。良い曲をやっていた実力のあるアイドルであったのに、プロデューサーに振り回されていろいろ苦労してかわいそうな気もする。まぁそのおかげで売れたのであるが。
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ここで紹介したものはほんの一部のバンドなので、より多くのバンドはこちら↓のプレイリストでどうぞ。