Russian Indie Guide-ロシアのインディーロックガイド

ロシアのインディーロック、その知られざる素晴らしき世界

SovietwaveとMolchat Domaの海外人気、ロシアン・ポストパンクの興隆

Sovietwave

[Photo by Alexander Nekh

2010年代、主にネット上でロシアや旧ソ連諸国の新世代バンドの音楽がニッチな注目を集めた。ここでは海外から見たロシアの音楽への反応について書いてみたい。

 

Sovietwave

「Sovietwave」という言葉をご存じだろうか?「Retrowave」と呼ばれる過去へのノスタルジーを表現するエレクトロニックミュージックの一つで、直接的には「Synthwave」の派生ジャンルである。
Synthwaveが80年代アメリカ文化へのノスタルジー(ただしそれを経験していない世代が感じる理想化したノスタルジー)を表現したものなのに対して、Sovietwaveはその対極の旧ソ連構成国で共有されるソ連文化へのノスタルジーである。現代の日本でも若者の間で「昭和レトロ」が流行っているのと同じような現象が世界中で起きているのだろう。

Synthwaveについてはこちらのサイトで詳しく解説しているのでご参考にどうぞ。

block.fm

Sovietwaveのルーツ

Sovietwaveのルーツは2000年代初頭で、ロシアのトランスアーティストであるPPK (ППК)がソ連時代の映画の曲からメロディを借りたり、ソ連の宇宙飛行士ガガーリンの声をサンプリングしたりした事によって彼らはSovietwaveの最初のアーティストとなった。彼らの曲「ResuRection」は2001年にイギリスのチャートでNo.3になりシルバーディスクを獲得している。彼らはイギリスでチャートインした最初のロシアのアーティストとなった。

しかしまだこの頃は「ソ連時代へのノスタルジー」は感じられない。日本のアーティストが海外で活動する時に日本文化をちょっと入れたりするのと同じように、差別化するためにロシアらしさをソ連文化で表現したのだろう。

「ノスタルジー」要素のプラス

ソ連文化へのノスタルジーは2010年代になると顕著になってくる。この頃になるとSynthwaveの認知度も高まってきたため、その派生として「Sovietwave」という言葉も使われ始める。初期Sovietwaveを代表するのはウクライナの Маяк (Mayak灯台」の意味)というバンドの「Река」(2013年)だろう。このバンドは2013-14年の2年間の活動に終わる。

またモスクワのАртек Электроника (Artek Elektronika) は2015年のこのアルバムでこれでもかというくらいソ連時代のサンプルを使っている。

2010年代半ばくらいまでのSovietwaveのバンドの音は比較的忠実に「Synthwaveの派生ジャンル」という感じで、ソ連のスペースエイジ(宇宙開発競争時代)をイメージしたようなエレクトロニックミュージックが多い。「ソ連YMO」と呼ばれ日本でも知られたラトビアのZodiakや、「ロシア版ニューロマンティック」のようなAlyans(Альянс)等のソ連時代の音楽もそのインスピレーション元になっているようだ。これらのソ連のシンセポップは非常に面白いので別記事で後程書く予定。なのでここでは名前を挙げておくのみにとどめる。
Sovietwaveはニッチジャンルとしてネット上で一部マニアの支持を集め、静かに広まっていった。

Sovietwave

Sovietwave

Sovietwaveでよく使われるイメージ(ソ連宇宙開発競争時代のプロパガンダポスター)

「Russian Doomer Music」とコロナ禍

世界がコロナ禍に陥る少し前の2019年、ロシアのJustMyFavStrangeMusicというアカウントが「Russian Doomer Music」というタイトルのプレイリストのシリーズをYouTubeにアップし始めた。ロシアの新旧ポストパンクバンドの曲ばかりを集めたものである。翌年からのパンデミックの自粛期間になるとこのプレイリストは世界中から視聴され、熱狂的に盛り上がった。特に上↑に貼ったVol.3は2023年5月時点で1635万回も再生され、このシリーズはVol.36まで作られている。
これほどまでに盛り上がったのは、ロックダウンという我々がかつて経験したことのない事態と、ロシアの閉塞感のある陰鬱なポストパンクの音色がぴったりとはまったからだろう。コメント欄を見ると世界各国の言語で書かれていて、ロシア外のユーザーのコメントは「ロシアにこんな素晴らしい音楽があったなんて知らなかった」というような、未知の音楽との出会いに歓喜するようなものが多い。

「Doomer」とは?

そもそも「Doomer」とは何だろうか?Doomerとはネットミームの一つで、Russian Doomer Musicの動画画面にいるこいつである。↓

Doomer

Doomer

Doomerのキャラクターは「Wojak」と呼ばれるネットミームキャラクターの発展形である。Wojakは2009年頃にネット上に登場し、悲しい気持ちや陰鬱な気分を表したい時に使う。このWojakから様々なバリエーションが生まれ、Doomerもその一つで、Wojakをもっと小汚く不健康にしたようなキャラクターだ。2018年頃にネット上に登場したとされる。

Wojak

Wojak

Doomerの特徴は

  • 20代前半の独身男性
  • 時々PS1をプレイする
  • アルコール依存症
  • 家族との会話を恥じる
  • 毎晩同じ過ごし方
  • 出世は無理
  • 読書・おしゃれ・筋トレはやってはみた
  • オピオイドアメリカで社会問題になっている鎮痛剤)依存症のリスク高し
  • 2012年から友達なし
  • 青春時代がない
  • 将来の心配はしているが、自分が無能である事も分かっている
  • Cloud Rap(ヒップホップの一ジャンル)を好む(これはミームによって様々)
  • Tinderはインストールしているが死んでも使いたくない
  • 夜中の散歩が趣味

まさに日本でいう「非正規」「非モテ」のような絶望した存在である。「Doomer」は「Boomer(ベビーブーマー、「老害」とほぼ同義で使われる)」に掛けた名称で、Boomerに既得権益をすべて持って行かれた破滅(doom)的な存在である。このような世代間対立は日本だけのものではなかったのである。

前置きが長くなったが、この夜行性の「Doomer」が夜中の散歩(nightwalk)をする時に聴くのが「Doomer Music」であり、Deepech ModeやJoy DivisionThe Cureなどの陰鬱なポストパンク/ニューウェイヴ系を集めたプレイリストが人気であった。そのロシア版として登場したのが「Russian Doomer Music」であり、そのディストピア感溢れる底なしの陰鬱さに世界のリスナーもびっくりで、今やDoomer MusicといえばRussian Doomer Musicを意味するくらいにまでなってしまった。元々のアカウント以外にもRussian Doomer Musicというタイトルでプレイリストを作る人も増えた(特にSpotifyにたくさんある)。

「Russian Doomer Music」の動画のバックには、ソ連時代の殺風景な集合住宅群(団地のようなもの)の風景や、物悲しく凍てついたロシアの街の風景といったものが使われた。ここからロシアのポストパンクとソ連のイメージがつながり、次第にSovietwaveに含まれるようになっていった。「Russian Doomer Music ≒ Sovietwave」のような認識になっていき、今ではRussian Doomer MusicがSovietwaveを食ってしまったような状況だ。スペースエイジのイメージのエレクトロニックサウンドだった頃のSovietwaveには絶望感や陰鬱さといった要素はあまり感じられないが、コロナ禍以降はそういうイメージが強くなった。

Russian Post-punkの興隆- Molchat Domaの大躍進

イギリスのポストパンクはJoy Divisionみたいなバンドばかりではなく、WireGang of Fourのような様々なタイプがいた。ロシアの現代ポストパンクにもいろいろなタイプがいるのだが、Russian Doomer Musicで採り上げられているのは陰鬱なJoy Divisionタイプばかりである。選者の好みであるのだろうが、80年代のロシアンロック黄金期の顔であり、今でもロシアで一番有名なバンドKino (Кино)をプレイリストの方向性のキーバンドとしているのだろう。Kino以外は現代のバンドがかかることが多い。

このようなロシアのポストパンクは、夢も希望もないような絶望サウンドのわりにはベースの重低音部分が軽めで、どこかlo-fi感がある。これが現代のバンドなのにソ連時代の音なのかと勘違いしそうな雰囲気を出す。こうした「へっぽこローファイディストピアサウンド」はまさにロシア社会をそのまま反映したような音だ。ロシアのバンドは本物のディストピアの世界に住んでいるので、民主主義国家の西側のバンドが絶望を歌ってみても、ロシアのバンドのリアリティにはかなわない。ロシア語の歌詞が分からなくても、リスナーにはそれが伝わる。ウクライナ侵攻でロシア社会のディストピアっぷりは世界中に知られたので、皮肉にもこの説明がしやすくなった。

実はロシアがクリミアを侵攻した2014年にロシアのインディーシーンに大きな変化が起き、それまで英語で歌っていたバンドも次々とロシア語で歌うようになった。この事は非常に重要なのでこちらで書いた記事を是非読んでみてほしい。ロシア社会の内側から見たインディーシーンの変化について書いた。

russianindieguide.hatenablog.com

 

そういう訳で、世界の音楽の潮流に敏感な人の耳には「ロシアのポストパンクには今勢いがあるぞ」という認識がじわじわと広まっていった。ここでよくかかったPlohoは海外ディールも勝ち取った。

Buerak(Буерак)はロシアで最も人気のあるインディーロックバンドの一つである。

80年代のソ連ロック革命の旗手だったKino(Кино)は、現在のロシアンポストパンク・リバイバルバンドからほとんど神聖視されている存在である。ソ連のロック革命はポストパンクから始まったと言ってもいい。

このようなロシアのポストパンクバンド勢の中で、海外で頭一つ抜けたのがMolchat Doma(彼らはベラルーシ出身だが)であった。彼らは2017年結成で比較的経歴も浅いためまさに今のバンドという感じで、ベラルーシ国内でライブを何度もやるよりもBandcampやYouTubeで先に名が知られるようになった。
そしてコロナ禍直前の2020年1月にアメリカのSacred Bones Recordsと契約し、2枚のアルバムがアメリカでもリリースされた。世界中がパンデミックでロックダウンの中、彼らの2ndからの曲「Sudno (Boris Ryzhy) 」(Судно (Борис Рижий))がなんとTikTokで爆発的に使われたのである!

Molchat DomaのSudnoの動画は2023年5月の現時点で2200万回も再生されている。この曲は陰鬱であってもアップテンポで踊れるので、TikTokのショート動画との相性が良かったのだろう。Russian Doomer Musicの盛り上がりと、アメリカでのアルバムリリース、ロックダウンの「おうち時間」のタイミングがピタッと合ったため、まさかのバイラル人気になった。この曲に合わせて自宅で服を変えていく動画のようなシュールな光景は、ロックダウンの賜物だろう。

2021年11月にロシアでt.A.T.u.(あのMステドタキャンの)のトリビュートアルバムがリリースされ、Molchat Domaも参加した。すると彼らのこの曲がSpotifyの全世界の再生数ウィークリー(デイリーかも?)チャートのトップ5に入るというとんでもない状況になった。これは人気が高まっていたところに新曲が飛び込んできたからみんな聴いたのだろう。

2020年にアメリカでアルバムをリリースした際に全米ツアーが決まっていたのだが、コロナ禍でキャンセルせざるを得なかった。2021年はヨーロッパツアーを大成功させ、延期していたその北米ツアーは2022年に行えることになった。しかし年が明けて2月24日にはロシアがウクライナを侵攻。どうなる事かとヒヤヒヤしながら見守っていたが、無事敢行。ソールドアウト続出で、Coachella Festivalにも出て大成功を収めた。彼らをサポートしたのはロシアの先輩バンドPompeya(アメリカ在住のようだ)だった。Molchat DomaはSovietwaveで最も商業的に成功したバンドとなった。

個人的な話になるが、私がロシアのポストパンクを掘り始めたのもコロナ禍直前だったので、上で書いた流れはリアルタイムで経験していた。YouTubeで「Russian post-punk」と検索するとRussian Doomer Musicばかりヒットした。ディスクユニオンTwitterでMolchat Domaの2枚のアルバム入荷の情報を見て、「へ〜、ベラルーシのバンドかぁ」と興味を引かれたものであった。私のロシアのバンドへの理解が深まっていくのと同時進行で彼らがどんどん売れていくのも目の当たりにした。今やSacred Bonesの看板バンドの一つにまでなって感慨深い。彼らは先に海外で売れたのでCIS諸国では逆輸入の形で名前が知られたのも面白い。

Molchat Domaについては個別記事を書いているのでどうぞ。

russianindieguide.hatenablog.com

Russian Doomer Musicの項目はニコニコ大百科にもあるので、ネット界ではかなり知られているものと思われる。

dic.nicovideo.jp「Russian Doomer Music」という呼称はあくまでも海外で勝手に呼んでいるものであり(しかし最初のYouTubeの投稿者はロシア在住らしい)、海外で勝手に盛り上がっているブームである。海外マニアが日本の70年代~80年代のシティポップを「発見」したのと似たようなケースだろう。海外でのシティポップ人気が日本に逆輸入されたように、ロシアでも最近そのような動きがちょっとあるのではと思う。モスクワのレーベルAnchor Lightsから「Russian Doomer Music」というコンピレーション・アルバムが出るようだ。ジャンルはポストパンクやシューゲイズ、ドリームポップらしい。ロシア国内でのポストパンクの勢いは一時よりも衰えているようだが、海外人気を踏まえてまた違う展開があるかも知れない。

以下は参考記事↓

www.theguardian.com

jacobin.com

www.peek-a-boo-magazine.be